龍の昇るところに稲荷と徳川家康あり、東京龍神めぐり

日々のあれこれ

『三月三日この池より竜昇らんずるなり』で、――誰でもこれには驚いたでございましょう。
その婆さんも呆気あっけにとられて、曲った腰をのしながら、『この池に竜などが居りましょうかいな。』と、
とぼんと法師の顔を見上げますと、法師は反って落ち着き払って、
『昔、唐からのある学者が眉まゆの上に瘤こぶが出来て、痒かゆうてたまらなんだ事があるが、
ある日一天俄にわかに掻き曇って、雷雨車軸を流すがごとく降り注そそいだと見てあれば、
たちまちその瘤がふっつと裂けて、中から一匹の黒竜が雲を捲いて一文字に昇天したと云う話もござる。
瘤の中にさえ竜が居たなら、ましてこれほどの池の底には、
何十匹となく蛟竜こうりゅう毒蛇が蟠わだかまって居ようも知れぬ道理ことわりじゃ。』と、
説法したそうでございます。

ー芥川龍之介『竜』



この春は海の向こうからの客人が大変多いです。
私は中国のSNSをやっているので中国からの客人が特に多かったですが、
今回は香港から、長年の友人であるキリちゃんが来てくれました。約半年ぶりの再会です。
でもあまり久しぶりな気がしないのは、SNSでお互いの近況を知っているからかもしれません。

香港から着物を持ってくる気合!着付けももちろんキリちゃん本人です。


2024年、今年は辰年です。
キリちゃんはSNSで自分の趣味、つまり日本文化への興味や歴史研究について日々紹介しています。
彼女が最近取り組んでいた龍の木目込み人形の製作過程から、
私たちの間では龍の爪の本数の話題が多く出ていました。
実は東京は龍神と縁が深いと私は思っているので、キリちゃんに龍神巡りを提案しました。
今回の私たちの旅は東京の龍神巡りに決定しました。

初日は2人で着物を着ました。
最初に訪ねたのはパワースポットとして有名な田無神社です。
実は、私が最初に御朱印帳を購入したのはこの神社。
個人的には、東京で1番可愛い御朱印長だと思っています。
当時、友人が神職としてお勤めされていたので、御朱印も友人に書いてもらいました。
とても懐かしい…と思ったら9年も前で驚きました。

田無神社は五行思想に基づいた五方位に、五色の龍神を祀った神社です。
ご存じの方も多いかと思いますが、五行説ではこの宇宙が五つの要素で成立していて、
五つの要素は互いに影響しあっている、と説いている古代中国の思想です。
「夏」という王朝の時代の思想だと言われています。
五行思想は私たち日本人の身近な生活にも根付いていて、
有名なところで行くと、鯉のぼりの1番上についている五色の飾り物でしょうか。

以前来た時も思ったのですが、こちらの神社はとにかく爽やかな空気で気持ちいいです。
平日の昼に行ったにも関わらずお参りするのに少し並ぶほどに賑わっていました。



東京の神社で明治政府の「神仏分離」政策の影響を受けていない神社は恐らくないでしょう。
田無神社の創建は鎌倉時代、明治5年には社名を改め、明治43年に町内の5つの小社を合祀したのだとか。
彫刻の天才・嶋崎俊表が彫った龍に見守られながら参拝した本殿は明治8年築。迫力があります。

次に向かったのは少し離れた場所。
高円寺駅と阿佐ヶ谷駅の間ほどに位置する「馬橋稲荷神社」という神社です。
今年は辰年でメディア出演なども増えていらっしゃるそうで、これから有名になること間違いなしですね。
2頭の龍が巻き付いた鳥居は「双龍鳥居」と呼ばれ、東京に3か所しか無いのだそうです。
参道には小さな水路や赤い橋があり、歩いている間は木々のせせらぎと水の音が絶えず聞こえます。
なんともロマンチックで風情のある神社です。


お参りをして帰ろうとしたとき、私を呼び止める声が聞こえた気がして振り返ったら、
神社にお勤めの方が「宮寺さんですよね」と仰るのでとても驚きました。
なんでも私のSNSを見て下さっているのだそうで、なんでもやってみるものですね。
この「双龍鳥居」は水の流れを表現していると言われており、
登り龍は蒸発する水、下り龍は雨として降り注ぐ水なのだそう。
馬橋稲荷神社の位置する旧馬橋村は農業が盛んだった地域で、
馬橋稲荷神社は地域を守る神様として地元の方に長年信仰されてきたのだそうです。

「伊勢屋稲荷に犬の糞」と言うほど稲荷神社が多いとされた江戸の町では、
五穀豊穣を司る稲荷神は、商売繁盛の神様として信仰されてそうですが、
龍神と稲荷の縁の深さにも改めて気づかされる貴重なお話をお伺いしました。
実は馬橋稲荷神社も約9年ぶりに訪れた神社です。
以前訪れた際は宮司さんから「稲荷は生きる・成るという字をあてる」というお話をお伺いしました。
そのお話を聞くまで、私は稲荷神社と「なんとなく恐い場所」と思っていたのですが、
そういう気持ちは無くなったのをよく覚えていました。
今回のご縁も、龍神様とお稲荷さんが下さったご縁かもしれません。

この日は随分たくさん歩いたのもありましたが、何よりもキリちゃんとたくさん話しました。
私たちは残りの目的地は翌日巡ることにして、素晴らしい龍との出会いの奇跡を語らいました。
…と言えばかなり大袈裟です。
でも、久しぶりに会った気の合う友人を前に、おしゃべりをやめることなんて私にはできませんでした。

翌日は北品川に向かい、東京のもう一つの「双龍鳥居」がある品川神社へ。
北品川は旧東海道品川宿場としても栄えた町なのですが、
明治5年の宿駅制の廃止に伴い遊郭が繁盛し、
その後、昭和33年の売春禁止法施工で、工場従業員寮や民間アパートなどに変化したそうです。
現在の旧東海道品川宿場は至ってのんびりとした商店街でした。

品川神社は映画『シン・ゴジラ』にも登場しています。
映画『シン・ゴジラ』は大田区が破壊されまくっており、区民の皆様はさぞや複雑な心情かと思っていたのですが、
意外にネタにしたイベントが多く、ノリノリだったのを記憶しています。
映画『シン・ゴジラ』に登場した品川神社は、神社側の許可が下りずに別の神社で撮影したという裏話もあります。
メディア出演はほぼ全て断られていると聞いたことがあるのですが、今も同じなのでしょうか。

立派な双龍鳥居と石段。登るのがちょっと大変でした。
石段を登ると左手に小さな猿田彦神社があります。


これは富士塚。民間の富士信仰の遺構で、東京都内では1番高いのだそうです。
何回か来ているのによく知らなかったのは、
単純に存在が面白くて、登って満足してしまうからかもしれません。
富士山の信仰や稲荷神の信仰の痕跡を辿ると、時々「講」と呼ばれる民間信仰のグループの情報を見かけます。
こちらの富士塚も「丸嘉講」というグループの方が築いたのだそうです。

富士塚のそばには浅間神社があり、狛犬の側面には富士山が描かれています。
デザインが秀逸でとっても可愛い。

品川神社は本殿も美しいのですが、本殿の右にある小さな石段を下ったところにある、
ひっそりとした雰囲気の安那稲荷神社も大変有名です。


ちょっと見えにくいですが、品川神社の紋章は、江戸時代に徳川将軍家より特別許された三つ葉葵です。
なんでも、徳川家康が関ヶ原の戦いへの出陣の際に参拝し、戦勝祈願をしたのだとか。

安那稲荷神社には一粒萬倍の水と呼ばれる神水があり、
お金を洗うと一万倍になって返ってくる、という
言ってしまえば大変ベタな伝説もあるのですが、
このひっそりした雰囲気も相まって、なんだか本当に返ってくるような気がします。
キリちゃんは香港ドルも洗っていて、さすがでした。
彼女のポジティブな試みはいつも私を感動させます。

実は私はこちらの神様には本当にお世話になったな、と勝手にご恩を感じているので、
欲張らずに千円札を洗いました。え、十分欲張ってますか?

参拝し終えたとき、ちょうどいらした年配の女性に話しかけられたのですが、
この日は「一粒一万倍日」「天赦日」「虎の日」が重なるスーパーラッキーデーだったようで、
確かに品川神社も、私たちが帰る頃には結構な混雑ぶりでした。
「一粒一万倍日」や「天赦日」などは、ここ数年からよく聞くようになった気がしますが、
いつ頃から始まったムーブなのでしょうね。
実はイマイチよく分かっていないのですが、たくさんの人が参拝しているので、
きっと霊験あらたかな、大変ありがたい日なのだと思っておきましょう。
教えて下さった親切なお姉さまも、私たちが前日に訪れた馬橋稲荷神社に行くと仰っていました。

安那稲荷神社は小さな石段を降りて行くのですが、
その手前にも小さな稲荷神社があり、そちらにも立派な龍の彫刻が。

そういえば、馬橋稲荷神社でも参道に小さな水路があり、水の存在を感じましたが、
阿那稲荷神社にも神水がありました。
偶然かもしれませんが、稲荷神と龍神の信仰が水と深く関わっていることの裏付けのように感じました。
それだけ、水は生きていくうえで欠かせない重要な存在だったという事のでしょう。
偶然にも、馬橋稲荷神社と品川神社を巡り、
人の暮らしと民間信仰の神の事を重ねて知ることができたように思います。

さて、私たちは今日という日にあまり相応しくない洋食を食べた後は、
次の目的地に向かいます。
向かったのは東京タワーのお膝元、徳川家の菩提寺である増上寺です。
品川神社も三つ葉葵。
私は「龍と東京は縁が深い」と感じる理由は、徳川家も関係しています。

天気がよすぎて何も見えず、写真が盛大に斜めです。


キリちゃんと会うことになってから東京都内の龍神を調べていた時、私は1つのトピックに注目しました。
それは、徳川家康と龍神の関係性です。

岡崎城は、徳川家康出生の地、「神君出生の城」と呼ばれる岡崎城は、
龍にまつわる伝説が多く存在します。その別名は「龍ヶ城」。
徳川家康誕生の折には、城の上に黒雲が渦巻き、黄金の龍が現れた、なんていう伝説もあるのだそうです。
出典:愛知県岡崎市観光サイト
現在の天守は1959年に再建されたもので、
岡崎城の跡地は龍城神社となっており、徳川家康とその忠臣である本多忠勝を共に祀っているそうです。
本殿の天井には立派な龍の彫刻があるそうなので、いつか是非行ってみたいですね!

その他にも、和歌山の龍神温泉、日光東照宮の鳴き龍など、
徳川家康ゆかりの地にはたくさんの龍がいます。
戦乱の時代を終え、統治の時代に入った徳川家康にとって、
龍という存在は自らの正統性を示す存在だったのかもしれません。

増上寺は太平洋戦争の際に甚大な空襲被害を受けており、
徳川家霊廟などの重要な遺構を焼失する憂き目に遭っています。
とは言え、江戸時代中も何度も火事に巻き込まれ、明治時代初頭には廃仏主義者による放火、
神仏分離による規模縮小など、決してずっと順風満帆だったわけではなかったようです。
現在、龍の存在を感じられるのは徳川家墓所の入り口付近にあるこちらの門。
こちらにも昇り龍と下り龍。



失われてしまった霊廟どは比較にならないほど規模の小さいものでしょうが、
それでも、このような遺構が残っているのは本当に素晴らしいと私は思います。
今回は訪問しませんでしたが、上野東照宮の唐門にも昇り龍と下り龍があしらわれているそうで、
次の機会に見学したいと思います。
そういえば、上野公園にも花園稲荷神社があり、境内には穴稲荷と呼ばれる洞穴があります。
上野寛永寺の拡張で周囲の樹木を伐採してしまった際、
上野山に棲む狐の棲み処がなくなってしまって、人間が狐穴を掘った、なんていう伝承もあります。
これは聞いた話なのでうろ覚えで、狐の願いを誰が叶えたのか等の明確な記憶が無くて恐縮です。
民間伝承だとは思うのですが、機会があれば調べてみようと思います。

現在東京都内に住んでいる私にとって、今回の龍神巡りは「旅」とは言えませんが、
まるで旅をしたような感覚になった2日間でした。
単にパワースポットを巡るのではなく、
民間伝承や農業、商業と龍神そして稲荷神の関係性、
縁起として龍神を担ぐ徳川家、そして9年も前にお参りした場所で得たご縁。
私は人間関係や社交性を築く努力を自分の成果としてではなく、他者からもたらされたように感じるので、
「ご縁」という言葉はあまり好きではありません。
ご縁という言葉に乗っかって、さして乗り気でもない人間関係を強要されることもありましたし…
でも、そんな私でも、今回ばかりはご縁を感じざるを得ない旅でした。

田無神社の境内にも稲荷神社があり、社殿の後ろには『穴』のような祠も。

冒頭に引用した芥川龍之介の『竜』は、嘘が本当になる奇跡のエピソードが、
芥川龍之介の鮮やかな手腕で彩られる短編です。
私は今回の「旅」で、私は様々な信仰心を目撃し、色々な事を考えさせられました。
信仰心も嘘も、言葉や行動にはできるかもしれません。
でも、目には見えないもので、確実性はありません。
しかし、芥川龍之介の『竜』では嘘が本当になりました。
そして、信仰心を現実たらしめるのは人間であり、それは人間が生み出した文化である、と私は思います。

通りがかりのアメリカからお越しの方が撮ってくれたのですが、私達とっても楽しそうです。

Follow me!

コメント

PAGE TOP
error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました