“花の色は移りにけるないたずらに”
そんな和歌を詠んだのは絶世の美女と名高い平安時代の女流歌人、小野小町。
しかし令和の現代ではもはやそんな価値観は時代遅れ。
美貌は衰えるものではない。それは成熟である!
先日、36歳になり、人生3度目の十二単体験をしました。
実は子供のころに1回、簡易的な十二単を着たことはあるので、それを含めてたら4回目ですね。
30歳を超えてからお姫様体験か…と最初はちょっと恥ずかしい気もしたのですが、
そんな気持ちも吹き飛ぶくらい、毎回とても楽しいんです。
アンバサダーを務めさせていただいている十二単東京さんでは、
十二単の体験プランがあり、記念写真用のセットがレベルアップしました。
もちろん、十二単の結婚式レンタルも可能です。
最近、オンラインでの相談や見学も可能になりました。
ご希望の方はこちらのお問い合わせフォームをご利用ください。
私は十二単には特別な思い出があります。
すごくベタで恥ずかしいのですが、お雛様にまつわる思い出です。
私の実家には七段飾りのひな人形があったのですが、
子供のころ、ひな祭りの時期に祖母に頼んで着物の羽織を出してもらって、
お雛様の向きと同じ向きでずっと正座してました。笑
気付いた母が私に何をしているのか聞いたら「お雛様になってる」と答えたそうです。
我ながら恐ろしい女です。笑
十二単は私にとって「お姫様のドレス」みたいな存在だったのだと思います。
実家にあった七段飾りのひな人形は、私の父方の祖母が私の姉に買ってくれたそうですが、
その後、不用品引き取りの募集をかけてくれる媒体で、近くの女の子のおうちに引き取られました。
可愛いお嬢さんの素敵な思い出の一部になっていることを願っております。
その後もそんな「姫願望」を叶える機会はなかなかありませんでしたが、
大人になったので金で解決です!
十二単の正式名称は『五衣唐衣裳』です。
読み方は「いつつぎぬからぎぬも」、何かの呪文のようです。
でも、実はこれ、十二単の構成要素をそのまんま繋げただけのシンプルな名前なんですよね。
五衣=いつつぎぬ:襟のグラデーションを構成する5枚重ねの着物の部分
唐衣=からぎぬ:1番目立つ箇所で、1番上に着るキラキラの着物
裳=も:後ろに長く伸びるスカートのような部分
という感じです。
他にも「小袖」「長袴」「単衣」「表着」などの構成要素があるのですが、
小袖・長袴は「インナー」であり、時代によっては着てなかったそうです。
十二単東京さんでは着付けの過程も再現してくださいます。
着物の場合は「着付け」と言いますが、十二単を着るのは「お服上げ」と呼ぶそうです。
前で作業する方は「前衣紋者(まええもんじゃ)」、
後ろで作業する方は「後衣紋者(うしろえもんじゃ)」と呼ぶそうです。
十二単を着るのは身分の高い尊い方なので、前衣紋者はずっと膝立ちで作業するそうです。
貴人を見下ろしたら失礼ですもんね。それにしてもシンドそうです。
こんな感じの着付けの説明は、体験中に十二単東京の國見さんから直接伺うことができます。
体験しながら解説を聞くのは毎回おもしろいです。
興味のある方はぜひ聞いてみてくださいね。
カップルやお友達(女性2名様)の体験プランもあります。
先日、香港から来ていた友人のキリちゃんは「千歳」を体験しました。
この日は私は体験しなかったのですが、
浴衣の私と十二単のキリちゃん、コントラストがちょっとおもしろいです。笑
私が体験した「葵」は五衣の部分を1枚ずつ着せてただくのですが、
キリちゃんが着た「千歳」は五衣の部分がくっついてます。
國見さん曰く、現在の皇室の十二単も恐らく同じスタイルで軽量化を図っているとの事でした。
「千歳」は色味も皇室スタイルっぽいので、古典的なコーデがお好きな方にお勧めです。
1枚ずつ着付けしていただく「葵」の方は、着付けの途中で「解き合わせ」という工程があります。
重なった襟をパタパタと美しく整える工程なのですが、
作業工程も美しいので、体験する方にはぜひ見ていただきたいです。
ちなみに、以前体験させていただいた「かぐや」は、結婚式のプランで着ることができるスペシャルコーデです。
(気になる方はお問い合わせフォームからお問い合わせください。)
Googleで「十二単 重さ」と検索すると、
20kgだと書いてあるサイトがわんさか出てくるのですが、
これはどうやらちょっといい加減な情報のようです。
十二単東京さんの十二単は大体13kgくらいです。
そもそも、絹糸って昔はもっと細かったので、十二単の生地も透けるほど薄かったという説もあります。
十二単は平安時代のプリンセススタイルでもあるのですが、
江戸時代には徳川家と天皇家の政治的な色々で、数回婚姻がありました。
そのため大奥にも十二単を着る文化があったり、
庶民の間で流行していた横に張り出す形の髪型と宮廷風スタイルがミックスされて、
「大垂髪」という髪型(お雛様のヘアスタイル)が誕生したりしています。
大垂髪にも前髪の形で少しバリエーションがあるようなのですが、
私なんかの目から見ると全部同じに見えてしまいます…
ヘアスタイルももう少し勉強したいと思います。
さて、こういう文化のミックスは、江戸時代にはたびたび起こっていて、
二代将軍・徳川秀忠の五女で、後水尾天皇に入内した徳川和子が産みだした寛文小袖なんかも該当すると思います。
ひな人形の段飾りも徳川和子から発生したと言われているそうなんです。
「江戸時代に流行したのに天皇家風なの、おもしろいなぁ」
と長年不思議に思っていたのですが、こういう背景があるとなると納得です。
徳川家も天皇家も財源がしっかりありましたし、
江戸時代は街道の整備が進んだ時代でもあるので、物流がよくなるという事は文化も移動するという事です。
また、こうした文化が隆盛したのは、やはり、服飾文化的にも政治的にも、お互い刺激を与えあう関係だったのだろうな、とも思います。
長い時間をかけて受け継がれたものは、継承の途中では伝統だとはみなされないので、
意外に変化が大きいです。
香港のキリちゃんが十二単を体験した数日後には、一緒に文化服飾博物館の展示を見に行きました。
こうした伝統装束がどのように保存されているのかを見る良い機会でした。
綺麗なドレスや伝統装束は見るだけでも目の保養ですが、実際に着てみると、身体的な発見がたくさんあります。
現代人の感覚だと「動きが阻害される」と感じる伝統装束が本当に多いです。
でも、どの個所をどう動かすかを自分の身体で感じることができるので、
どんな動きが美しいとされていたのか、また、それを決定づけたのはどんな社会なのか、
自分の身体で感じることができます。
歳を重ねるごとに段々経験値も高くなり、
感情的に新鮮な気持ちになる機会も徐々に少なくなりがちな私ですが、
装束の体験は毎回新鮮な気持ちになります。
ご興味のある方、または花嫁衣裳をお探しの方にもおすすめです。
間違いなく特別な体験になります!
【撮影協力】
十二単東京 Website
Instagram https://www.instagram.com/juunihitoe_tokyo/
公式LINE https://page.line.me/806fiqvz?openQrModal=true
お問い合わせフォームはこちら
【参考・出典】
八束清貫『装束の知識と着装』 明治図書出版 1962年
仙石宗久『十二単のはなし』 婦人界出版社 1995年
八條忠基『有職装束大全』 平凡社 2018年
長崎盛輝『新版 かさねの色目』 青幻舎 2006年
「国史大辞典挿書見本」女官装束着用図 明治41年
『満佐須計装束抄』(1160年頃)
『女官飾鈔』(1480年頃)
『曇華院殿装束抄』(1550年頃)
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