愛知で時間旅行ー明治大正浪漫の旅

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この汽車は名古屋どまりであった。会話はすこぶる平凡であった。
ただ女が三四郎の筋向こうに腰をかけたばかりである。
それで、しばらくのあいだはまた汽車の音だけになってしまう。
次の駅で汽車がとまった時、女はようやく三四郎に名古屋へ着いたら迷惑でも宿屋へ案内してくれと言いだした。
一人では気味が悪いからと言って、しきりに頼む。
三四郎ももっともだと思った。けれども、そう快く引き受ける気にもならなかった。
なにしろ知らない女なんだから、すこぶる躊躇したにはしたが、
断然断る勇気も出なかったので、まあいいかげんな生返事なまへんじをしていた。
そのうち汽車は名古屋へ着いた。

ー『三四郎』夏目漱石


こんにちは、宮寺理美です。
2023年は私にとって旅の年になりました。
愛知に向かうのは今年2回目になります。
束髪・アンティーク着物のレトロスタイルです。
冒頭で引用したのは夏目漱石の『三四郎』の冒頭部分。
でも、私は汽車ではなく新幹線に乗りました。令和浪漫です。

インナーカメラなので左右反転しますね。


愛知と言えば金のシャチホコや独特な食べ物など、
キンキラキンでバブリーな名古屋の文化を思い浮かべる方が多いかもしれません。
実際、私もそのようなイメージを持っていました。
確かに、現在の愛知県にあたる地は、古くから富の要素をたくさん持っています。
そして、その富の蓄積で、日本の近代化においても重要な役割を果たした土地でもあります。
私にとって、愛知は明治のハイカラと大正ロマンの街なのです。

夏目漱石の三四郎の時代には、名古屋までは汽車で何時間もかかる旅路でしたが、
令和の現代は、東京から新幹線でぴゅーんと行けます。
初日は早朝から着物を着て新幹線に乗り込み、名古屋駅に到着した後、
友人のカメラマン・伴さん博物館明治村に向かいました。

Phtographer 伴貞良


博物館明治村は、近代建築に関心のある方ならご存じかもしれません。
明治時代の建造物を移築して公開しているテーマパーク、と銘打っているものの、
歴史的資料として価値の高い建造物の維持・保管・そして気前の良い大公開に力を入れており、
公開だけでなく関連資料もかなり充実していて、1日ですべてをじっくり見るのは難しいほど。
そのため、博物館や文化事業としての意味合いがかなり強いと感じます。
ホームページによれば、旧制第四高等学校の同窓生である谷口吉郎氏と土川元夫氏が、
急速な近代化により壊されていく明治の文化財の保存を図るために協力し、
博物館明治村を創立したのだそうです。
谷口吉郎氏は建築家、土川元夫氏は実業家で、名古屋鉄道社長などの輝かしい経歴の持ち主です。
2人の思いはホームページの言葉に集約されています。

明治時代の建築は、江戸時代から継承した木造建築の伝統と蓄積の上に、
新たに欧米の様式・技術・材料を取り入れることで近代建築の素地を築き、
芸術上、歴史上価値あるものも数多く生み出されました。

ー博物館明治村ホームページ『明治村とは?』


博物館明治村の目玉と言えば、文句なしに旧帝国ホテル中央玄関でしょう。
フランク・ロイド・ライトの名建築です。

Phtographer 伴貞良


旧帝国ホテルはオープン当日、1923年9月1日の関東大震災に見舞われます。
帝国ホテル周辺は壊滅的な被害を受けます。
しかし、旧帝国ホテルはその基礎工事のおかげで、ごく軽微な被害のみで済みました。
建築愛好家たちの間ではあまりにも有名な逸話です。
ちなみに、旧帝国ホテルは世界で初めて外壁にスクラッチタイルを用いた作品だとも言われています。
当時としては大変先進的な建造物だったんですね。
ホテルと言えば大きな吹き抜けと豪華なシャンデリアのイメージがありますが、
旧帝国ホテルを飾るのはシャンデリアではなく、タイルと窓から降り注ぐ日光です。
なんとも幻想的で美しい空間です。
これを移築するのはさぞかし大変だった事と思います。
一部とは言え、よくぞ移築してくださいました。
明治村に足を向けて寝られません。

Phtographer 伴貞良


見学中に伴さんが教えてくださったのですが、
旧帝国ホテルのスクラッチタイルは同じく愛知県の常滑(とこなめ)市で製造されており、
現在INAXライブミュージアムでは、この複雑怪奇なタイルの型が見学できるそうです。
なんと土管を製造していた窯を買い上げて、60万個とか納品したそうです。
愛知の製造力、おそるべし…
きっと私だったら、こんなタイルの仕様を見た瞬間逃げるでしょう。
心の底から、絶対作りたくないです。
ちなみに、常滑市の「やきもの散歩道」というエリアでも、当時の隆盛を知ることができます。
前回の愛知旅行の滞在地は常滑市でした。ご縁を感じずにはいられません。

博物館明治村には特徴のある建物が多く、中でも私のお気に入りは高田小熊写真館です。
赤い屋根の可愛い写真館です。明治41年に建設されました。

Phtographer 伴貞良


この写真館が元々あったのは新潟県高田町、豪雪の街です。
大きな窓からは、今はさんさんと日の光が降り注いでいますが、
当時は雪に反射した光も降り注いでいました。
当時の写真館は光源の確保が課題だったそうです。
今では考えられないですが、当時はまだガス灯の時代ですもんね。
そのため、高田小熊写真館では雪に反射した光を、
白と黒の幕を調整してライティングをしたのだそうです。


すべての建造物をご紹介したいくらいなのですが、
この調子で紹介していると本が1冊書けてしまいそうなほど話が尽きないので、
次に機会を譲りましょう。
代わりに伴さんに撮っていただいた写真を何枚か掲載します。


全部Phtographer伴貞良です。

実はかれこれ7年ほど前に明治村を訪れたことがあります。
しかし、当時の私は装飾的な部分にしか注目できておらず、
今回のような深い感動を味わうことができませんでした。

博物館明治村は本当に素晴らしい。
基本的に椅子には座れるし、最低限しか養生されていないし、基本的にどこも撮影可。
東京で暮らしていると、歴史的に価値が高いとされる建造物では、
椅子や調度品には触れないのが当たり前、
バルコニーなんかも、出られないのが当たり前、撮影不可なのも当たり前です。
もちろん、東京は現代の都なので、人が多いから仕方がない部分もあります。
でも、いきなり明治村にような場所に来ると、楽しさや嬉しさよりも戸惑いが勝ってしまいます。
人間(というか私)とは悲しき生き物です…

博物館明治村には名古屋駅や犬山駅からバスでも行くことができます。
1時間ほどかかりますし、意外と山の中にあるので、乗り物で酔いやすい方はご注意を。
旧帝国ホテルなどの目玉の建物は中央口から1番遠い場所にあります。
かなり広いですし、アップダウンも結構あります。
ですので、村内の移動はSLやバスなどの利用がお勧めです。
私は元気なので着物で下駄の上でフル徒歩移動でした。
私は興奮で全く疲れませんでしたが、普通の方はどっと疲れる規模感です。

さて、私は前回の愛知の旅ですっかり常滑市を好きになってしまい、
今回も常滑市に宿泊しました。
夜ご飯はセントラルダイナー
1950年代の古き良き時代をイメージしたアメリカンダイナーです。

外観も超かわいいです。駐車場にはピンクのキャデラックが停まってます。
知多フォルニアバーガーと名付けられた地元食材を使ったバーガー。


アメリカンダイナーって東京や横浜にももちろんあるのですが、
こんなに凝った内装のダイナーはそうそうお目にかかれません。

知多牛や常滑産濃厚卵など、地元産の食材を使用した本格バーガー、ごちそうさまでした。
着物を着たままでしたが、遠慮なくかぶりついてきました。
こんな時は、手ぬぐいを帯揚げのところにエイッと挟んで膝をカバーしておくと安心です。

令和の愛知です。時代がバグってます。
最近保護猫活動をされていらっしゃるセントラルダイナーさん。食事と会計の後に、ガラス越しで猫ちゃんと会わせていただきました。




翌日は名古屋市内で観光しました。
が、私の事ですから定番観光スポットにはもちろん行きません。
朝ごはんは大須商店街の名店、純喫茶コンパルでエビフライサンドです。



オリジナルブレンドコーヒーも大変深い味。すっかり目が覚めました。
朝の充電が完了したら大須観音骨董市へ。
東京の骨董市は「アンティークも取り扱うオシャレ雑貨屋」の様ですが、
やはり骨董市は活気がないといけませんね。
お店の方にちょっと話しかけるといきなり50%割引されたりして、
久しぶりに張り合いのある時間でした。
結局、大正時代のアサヒグラフを何冊か購入しました。

大須観音や商店街周辺には、赤線の跡地っぽい建物も散見されました。
滞りなく経済が回っているせいか、普通に店舗利用されており、
ファンシーなお店に再利用されていました。


大須観音の近くには「招き稲荷」と呼ばれる稲荷神社もあり、
個人的にここも再訪したい場所でした。また来ることができて嬉しいです。
(稲荷の近くは封鎖されているので、隙間から写真だけ撮りました)
大須観音周辺の商店街は時の流れが感じられて素敵ですね。
一時は活気が無かったところ、復活した商店街だとも聞いております。


商店街で知り合いの方にご挨拶を済ませて嵐のように去った後は、
「文化のみち」と呼ばれるエリアで近代建築を見学しました。
地下鉄で移動し、愛知県庁本庁舎を横目に徒歩移動。
屋根だけ和風の建築は「帝冠建築」などと呼ばれるそうです。
もちろん東京にもそのような建築はあります。
しかし、愛知県庁本庁舎は、屋根だけ別で作って、ドーンと乗せたようなコミカルさがあります。

脇から見ても違和感がありますが、正面から見た時の違和感はもっとすごいです。



名古屋城から徳川園に至る地区一帯は、「文化のみち」と呼ばれるエリアです。
名古屋市が建築遺産の保存・活用をしています。
私は埼玉出身なので、東京大空襲の話は祖母からよく聞きましたが、
名古屋でも第二次世界大戦中に65回も空爆を受けた事は今回初めて知りました。
そんな中、この地区は奇跡的に焼け残ったのだそうです。
今回立ち寄ったのは文化のみち橦木館、文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)、旧豊田佐助邸、
そして名古屋市市政資料館です。

文化のみち橦木館も、もう1度行きたいとずっと思っていた場所です。
今回念願かなってやっと行くことができました。
橦木館のサンルームとステンドグラスの美しさはずっと忘れられませんでした。
なんて素敵なデザインなんでしょう。



橦木館の元々の持ち主は輸出陶磁器商の井元為三郎氏です。
井元為三郎氏の処世訓は『幸福は我が心にあり』、
そしてサンルームのステングラスにはトランプがあしらわれていますが、ハートがありません。
深読みしすぎかもしれませんが、素敵すぎます。

1階にはカフェもあります。
既に朝から歩き回っていたので休憩させていただきました。
ステンドグラスの癒しパワーは底知れません。10分位で回復しました。



文化のみち橦木館からほんの少し歩いたところに、文化のみち二葉館があります。
日本初の女優としてワールドワイドに活躍した川上貞奴と、
福沢諭吉の娘婿である福沢桃介氏が共に暮らした豪邸です。



個人的には「いや不倫じゃん」と思わなくもありませんが、
当時は好きな人と結婚する事すら困難な時代です。
しかも経済的な意味で女性が自立するのは、困難どころかほぼ無理な時代です。
男性のバックアップがたっとしても、経済的な自立を勝ち取った川上貞奴と、
最期まで立派に添い遂げた彼らに、一途さや潔さを感じなくもありません。

福沢桃介氏は大正期に「電力王」と呼ばれた実業家です。
2人がここに暮らしていた当時は文化サロンのような感じで使用されていたのだそうです。
この豪邸は名古屋市が移築復元し、2005年にオープンしました。
という事は、私が前回ここに来たのは、
オープンしてから比較的間もない頃だったのだと後で知りました。


福沢桃介の妹は歌人の杉浦翠子です。
彼の夫は杉浦非水。大正時代に活躍した日本初のグラフィックデザイナーです。
二葉館には大変鮮やかで豪華なステンドグラスがあるのですが、
これは杉浦非水が原案を手掛けたものだそう。
それにしても本当に豪華なステンドグラスです。
個人邸のステンドグラスとしては国内有数の豪華さなのではないでしょうか。


館内には、主に川上貞奴が女優として活躍した時期のゆかりの品々が展示されています。


橦木館でも通りすがりの方が写真を撮って下さったのですが、
二葉館でも通りすがりの方が話しかけて下さって、
着物の事や大正時代の事など楽しくお話させていただきました。
名古屋の近代建築では優しい方にばかり出会いました。


橦木館・二葉館からほど近くに、
トヨタ創始者である豊田佐吉氏の弟、豊田佐助氏の邸宅もあります。
白いタイル貼りの洋館、広い間取りの和館の和洋折衷スタイルです。
外観を撮りたかったのですが、樹木に隠れてしまって撮るのが難しかったです。
気になる方はホームページなどで見てみてください。



こちらにはスタッフの方が常駐しているようで、
入館無料な上に、知識豊富なスタッフの方から解説を聞くことができました。
・同じ通りに大きな蔵の古いお宅が多いのは陶器商の家が多かったから
・ノリタケの前進・森村組を創設した森村市左衛門氏もこの近くに邸宅をかまえた
・この付近は元々名古屋城下で武家屋敷が多く、区画はそのまま受け継がれた
・豊田佐助邸の敷地の区画が大きいのは、もともと武家屋敷だったから
などなど。

洋室の天井には「とよた」をデザインした換気口
ガスを利用した室内灯


また、明治村でも関東大震災の事に触れましたが、
こちらでも関東大震災の影を目撃することになるとは思ってもいませんでした。
豊田佐助邸では一部の壁を公開しているのですが、縦横斜めに張り巡らされた柱が見られます。
関東大震災を受けて急遽変更し、地震対策万全の邸宅を建てたのだそう。


柱も2階までの通し柱、廊下は松の板で、継ぎ目のない長い板を使用し、
かなり上部に作ることを意識していたのが伺えました。
尾張国の時代には、徳川家康から尾張国名古屋藩の初代藩主、徳川義直へ
婚礼祝いとして木曽の山々が贈られていました。
木曽川で下って、良質な木材が名古屋に集積されたので、木工も発達しています。
質の良い木材をふんだんに使用できたのは、もしかしたら地の利も大きかったのかもしれません。

そろそろタイムリミットが迫ってきました。
もう少し歩いて、名古屋市市政資料館に足を延ばします。
名古屋市市政資料館は名城公園の一部として扱われており、入館無料です。
元々は名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎でした。


大正11年に建てられたネオ・バロック様式の荘厳な雰囲気の裁判所庁舎です。
実際には大正11年には、もう少し軽やかなモダニズム様式の建築が流行していたように思いますが、
あえて荘厳な雰囲気のネオ・バロック様式を採用したのでしょうか。
関東圏だと、横浜付近の近代建築などにも同じような事情が垣間見えます。


名古屋市市政資料館には、裁判に関連する資料が豊富に展示されています。
博物館明治村でも裁判官の官服が中国風だったのが不思議だったのですが、
どうやら聖徳太子をモデルにして考案されたもののようです。
明治時代は官服だけでなく、様々な職業の制服が考案され、
数年で変更されたりと変化の多い時代です。

司法制度の確立と近代化とは、やはり切っても切り離せない関係がありますね。
実際に裁判が行われていた空間を残すだけでなく活用するのは、
本当に意味のある事だなぁ、としみじみと感じました。


また、川上貞奴の豪邸のステンドグラスは社交スペースに華やかさを添えるための物、
井元為三郎氏のサンルームのステンドグラスはほっこりとした親しみやすさを感じますし、
名古屋市市政資料館のステンドグラスは、仰ぎ見る荘厳な光です。
ステンドグラスの視覚的な効果や、見る人に与えるイメージの違いも印象的でした。

本当はもう何軒か行きたい場所があったのですが、
時間も体力もこのくらいで限界でした。
最後の力を振り絞って、行きたかった喫茶店に向かいます。


純喫茶ボンボン。
さすがの人気店、入店までに少し待ちました。
でも、名古屋って心なしか喫茶店の配転率が早い気がします。
10分くらいで入店できました。


帰りは恐ろしく歩くのが遅い人が多い名古屋駅から、新幹線で東京に帰りました。
名古屋、ターミナル駅なのに歩くのが遅い人が多く、
大混雑の通路のど真ん中で複数人で輪になって(なぜわざわざ輪になる??)、
会話をするでもなくスマホをいじっているグループがいたり、
信じられない角度でカックーン!と勢いよくターンする人や、
今まで歩いていたのに突然止まる人が異様に多くて、徒歩移動に難儀しました…
でも、名古屋に行くたびに名古屋が好きになってしまうんですよね。

今回の旅はタイムトラベラー気分の1人旅で、
明治と大正と昭和、そして50年代のアメリカに行くことができました。
今回の旅で1番感じたのは、愛知県は度量がでかい…という事。
すごい資産をお持ちなのに、勿体ぶらずにドーン!と公開していただき、
もう本当に感謝しかないです…
度量のでかさに圧倒されながら帰宅しました。
愛知でお世話になった皆様、ありがとうございました。
また遊びに行かせてください。

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