伝統と呼ばれるものたち

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こんにちは、宮寺理美です。
私は和服が好きでよく着ています。
たまたまフォロワー数が増えた中国のSNSでも、投稿内容は和服の事がメインです。
ただ、自分の意識としては「和服が好き」というより、
レトロで可愛いものが好き、という感覚です。
そのため現代物の和服にはそこまで興味が薄く、
むしろ和服以外のレトロなファッションの方が好きです。

中国のSNSを始めて、最初に心惹かれたのは旗袍(チャイナドレス)でした。
あえてこの表記にしているのは、「チャイナドレス」という呼称が
個人的になんだかしっくり来ないと思う機会が増えたからですが、
もう一つ理由がありました。
それは中国のSNSでフォロワーさんとコメントのやり取りをしているときに、
「チャイナドレス」という呼称に対する複雑な思いを知ったからです。

Photographer ゆういち

何度か当ブログでも紹介していますが、
現在、中国では漢民族の民族衣装である「漢服」の復興ブームです。
特に今年は中国のSNSですごく盛り上がりました。
中国のお正月である春節に放送される、紅白歌合戦的な番組「春晩」に、
漢服のインフルエンサーや動画クリエイターがたくさん登場したからです。
先日中国から遊びに来てくれた友人も出演していて、
「やっとここまで来たね」という感じで盛り上がっていたんです。
漢服復興はインターネットから始まったので、愛好家たちからしたら超胸熱展開でしょう。
民間でここまで盛り上がることができるのは本当にすごい事だと思います。
漢服愛好家たちの努力と熱意を尊敬してやみません。



その一方、まだまだ漢服という存在が海外には浸透していないのも事実です。
中国の民族衣装=旗袍(チャイナドレス)
と認識している人は日本にも多いかと思いますが、
漢服は「それどこの国の服?」という感じの方もまだまだ多いです。

旗袍の原型は騎馬民族であるモンゴル民族の民族衣装、デールだと言われています。
しかも、日本の多くの人が認識している「チャイナドレス」は、
ポリエステルの生地で作られたテッカテカのコスプレ衣装です。
それ以外の物に触れる機会が乏しいので誤解があるのは仕方ないのですが、
これらの事実に「う~ん、ちょっとな」と感じる気持ちも分からないでもありません。
実際、中国最大のショッピングサイト「タオバオ」で「和服」と検索すると、
布面積が異様に少ない不思議なコスプレ服ばかりがヒットします。
このような解像度の低さや誤解は、隣国だからこそ発生するものなのかもしれません。

旗袍が誕生したのは中華民国時代です。この時代の旗袍の事を「民国旗袍」と呼ぶこともあります。
裁断や仕立ての方法でも呼称もあるのですが、「民国旗袍」はよりライトな呼び方、という印象です。
最初は私も本当に何も知らなかったので、この「民国」という呼び方にも少々緊張しました。
少なくとも私の知っている範囲のSNSでは、民国=レトロ可愛い、という認識でOKのようです。

このような現状を知っていると、
「チャイナドレス」という呼称に対する複雑な思いが理解しやすいです。
現在、復興活動が胸熱展開を迎えている漢服は、1番新しい年代で明代かと思います。
日本だと室町時代くらいでしょうか。
中華民国時代と比較すると随分と昔な上に、漢民族の文化であると誇りも加わっていると思います。
旗袍はあくまで「近代的な改良服」という文脈のファッションで、
日本の物に例えるなら、大正ロマンとかモガファッションが近いかもしれません。
纏足から解放され、騎馬民族の男性服を改良してドレスを着て、
華やかなヘアメイクを施し、ハイヒールを履いて近代都市を闊歩する女性たち。
こんなイメージでしょう。
どうでしょう、「伝統」というイメージからは遠いとは思いませんか?

和服も「伝統」とは言われるけど、現代和服のルールは近代化とバルブ期のコンサバ売りで作られてます。
photographer ゆういち


旗袍のような服は実は意外に多いかもしれないと感じた例が他にもあります。
ベトナムの「アオザイ」と呼ばれるドレスです。
以前、Instagramで知り合ったMoonちゃんにインタビューをしたところ、
「アオザイはベトナム女性の誇り」というワードが飛び出し、彼女の誇りを感じました。

ベトナムは11~18世紀頃には李朝・陳朝による支配を受けています。
この時代の民族衣装は中国からの影響が色濃く、その後も中国カラー強めの民族衣装の時代が続きます。
現代のアオザイは1939年、カット・トゥオン氏がデザインした「ル・ミュール」に始まったのだそうです。
「ル・ミュール」は体のラインに沿ってくびれを作ったタイトなシルエット。
そのため、当初は下品だと批判に晒されたのだそうです。
ちなみに、この頃のベトナムはフランス臨時政権が行政権を掌握しており、
日本軍との戦闘を計画中のバッチバチの時期です。
1945年に日本の降伏によって終戦すると、ホー・チ・ミンを中心とした政府を樹立して独立宣言。
しかしその後は冷戦による世界の分断に巻き込まれ、中英やフランスの進駐や傀儡政権の樹立なども続き、
それによる南北分断など、苦難の時代だと言えるでしょう。

1960年代初頭、まだまだそんな苦難の最中の時代ですが、
大統領顧問の妻マダム・ニューが、襟元の大きく開いたアオザイを考案しました。
1960年代と言えば、イギリスではカウンター・カルチャーが勃興、
政治的にもショッキングな事件が相次いだ時代ですね。
この年代は欧米圏のファッションでも革新が起こしましたが、
その流れの影響はベトナムにも波及したのかもしれません。
1973年にはベトナム社会主義共和国の成立により、ベトナムは統一されます。
こうして歴史を紐解くと、変化の時代の中で生まれた新しいドレスが、
「誇り」だと言われる理由も理解しやすいと思います。

出典:https://www.viet-jo.com/news/special/160310065426.html

アオザイは製作するのが比較的簡単な民族衣装としても知られていますね。
観光客にオーダーメイドのアオザイを作るサービスもありますし、
実際にMoonちゃんも「ママが作ったアオザイを着ている」とも言っていました。
和服は伝統産業とセットで権威的ビジネス展開をして生存ルートを確保しましたが、
その点でアオザイは和服とは対照的です。


中国のSNSでは、和服に関する投稿では、「正統」とか「伝統」というワードを見かけます。
何が言いたいのかは大体理解できると思うのですが、
要するに「ウチはちゃんと着付けしてます、コスプレじゃないですよ」って事です。
そのようなアカウントの和服の投稿を見ると、現代の和服のコンテクストに則った、
大変真面目な内容が投稿されていることが多いです。
真剣に他国文化と向き合う気持ちからもあると思いますが、
日本人経営者の店で、本格的な和服体験ができ、かつ中国語が通じるお店は少ないです。
中国のSNSアカウントを運営している店も少ないので、
結果的に中国の人が中国の人向けに、日本文化でビジネスをしているという形式になってしまっており、
少々厳しい意見かもしれませんが、「これで真面目じゃなかったら大問題」だと私は思っています。
ちなみにこれは中国の方に限った事ではなく、
欧米圏の方も同じようなサービスを日本で展開していることも多いので、
「日本文化でビジネスをする外国人」という構図はやりやすいビジネスでもあるんだと思います。
日本は寛容で優しい国だと私は感じます。

しかし、美容系の学校や着付け教室で、
和服の着付けを履修している人が働いている場合が多いようです。
このような場合、現代の和服のコンテクスト以外は理解していない事が多いので、
このような着付けを迷いなく「伝統」と言い切る人が多いです。
そのような人は、少し掘り下げれば、電柱のように凹凸が無く、カーブラインなども存在せず、
帯の結び方だけが複雑化した振袖が1980年代以降の流行なのは分かりそうなものなのに、
そこには全く疑問を持たず、判を押したように教わった「日本の伝統」を発信し続けます。
これは日本国内の傾向を見ていても全く同じなので、学ぶ側より教える側の問題かと私は思います。

このような事象を通して俯瞰的に物事を見ていると
「伝統って一体なんだろう?」という気持ちになります。
以前、中国のSNSで旗袍を伝統服だと発言した際、
「旗袍は伝統じゃない」というコメントが複数寄せられたこともありました。
誕生から100年経っても伝統として認められないなら、
現代の和服のスタイルなんて、旗袍よりももっともっと伝統ではありません。
しかし、旗袍もまた革命の影響からの緩やかな復興の最中であり、
一度は途絶えたとも言われる歴史を持つ衣服です。

個人的には、まだ継承の最中にある文化は「伝統」とは呼ばれないと思っています。
現代社会で伝統と呼ばれるものは、継承の最中に変化し、発達し、後世に残りました。
中には継承の最中に衰退したものも数多く存在しますが、
それらは「昔あった文化」や「今では再現できない技術」という文脈で紹介される事はあれど、
「伝統」と呼ばれることはありません。
声高に「伝統」と呼ばれるものの多くは、すでに変化や発達の段階を終え、
変化や発達の最中にある程度の地域や階層に伝播し、もうこれ以上は変化をしません。
一度「伝統」と認識した物にアレンジを加えると、
多くの人にとって違和感のある仕上がりになる理由もここにあると思います。
「私の知っている伝統じゃない」という感覚です。
「旗袍は伝統じゃない」と私にコメントした人の気持ちがこれに一致するかは判断が難しいところですが、
ひとまず、自分の人生よりも長い間伝承されたものを
たった一人の人間が「伝統か」「伝統ではないか」とジャッジするのは難しいです。
それを簡単にやってしまうのはただの傲慢だと、私は思うのです。

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