「わ、めっちゃ人多い!」
みんなわくわくとした表情で、どこに座ろうか悩む人々が、
ああでもない、こうでもないと会話をしながら歩いている。
全席自由席だとは聞いているものの、どこに座ったら良いのか、私では見当もつかない。
周囲をきょろきょろ見回す私の肩越しに、きらきらのジェルネイルをほどこした指が、すっと一点を指さした。
「あの辺に座りましょっか」
今日私をエスコートしてくれている、私の友人であるいちごちゃんの指先だった。
いちごちゃんは《愛型女帝コスチュームスタジオ》を運営する、オペラ衣裳家の双子の妹。
彼女たちが東京でオペラを鑑賞する機会を作ってくれたのは、私にとってまさに「渡りに船」だった。
大正時代の文化にも大きな影響を与えた、オペラ。
現代に続く「はいからさん」の系譜のはじまりも、オペラ歌手として国際的に活躍した女性、三浦環。
「今日は帝劇、明日は三越」という、印象的なキャッチフレーズの、帝国劇場の歴史とも縁が深い。
オペラは、大正時代の文化やファッションに興味を持つ私にとっての「必修科目」だろう。
けれども、そんな知識があっても、
初めてのオペラ鑑賞に1人で赴くのは、私にとっては少々の勇気が必要だった。
難しそう!それに、イタリア語の唄なんて聞き取れない。
日本語字幕があるということも、いちごちゃんに教えてもらい、初めて知ったことだった。
今回の演目は『ナブッコ』というのだそうだ。
舞台は古代バビロニア。
『椿姫』や『蝶々夫人』、『カルメン』ならストーリーも曲も知っているが、
私には全く知識のない演目だった。
「あれ、何幕だったっけ、あの曲」
「三幕の合唱曲ね!」
「OK!じっくり聴かなきゃ」
入場する際に渡されたプログラムを開くと、ストーリーや見どころが紹介されている。
舞台が始まる前に、目を通しておきたい。
いちごちゃんによれば、第三幕の合唱曲「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って(Va, pensiero)」は、
オペラの本拠地であるイタリアでは、国家の次に有名な曲なのだそうだ。
“Oh, mia patria sì bella e perduta!”(おお、あんなにも美しく、そして失われた我が故郷!)
『ナブッコ』の初演は1842年。
ヘブライ人の奴隷たちが故郷を想って歌うこの曲は、
当時オーストリア支配下にあったイタリアの人々の心を打ったのだそうだ。
すっと照明が暗くなり、開演前の注意事項のアナウンスが始まる。
私は、少々緊張しながら椅子に座りなおす。
指揮者の女性が、オーケストラピットと呼ばれる1段低いスペースから少し顔を出して挨拶をした。
ついに、初めてのオペラの幕が開いた。
***
日本におけるオペラ。
それは、帝国劇場と共に幕を開けました。
帝国劇場は、伊藤博文や渋沢栄一など、錚々たるメンバーが発起人となり、
帝国ホテルや鹿鳴館などの設立者である大倉喜八郎が設立。
と、こんな風に説明すると少々堅苦しく感じますが、
とにかく、当時の大物が総掛かりで取り組んだ、日本で初めての西洋式劇場だったのです。
当時の人々がどんな気持ちで、西洋式のエンターテインメントとお付き合いをしたのかは、
帝国劇場の歴史を見れば、伺い知ることができます。

帝国劇場のはじめての演目は、オペラ『ドッチャダンネ』。
内容は意外にも、西洋劇ではなく日本的な脚本でした。
主役は宴席に呼ばれた芸妓。その席で一目惚れした相手は、別の女性を想っていて…
という、三角関係の物語。
『ドッチャダンネ』の劇中歌<コロッケー>は、
より大衆的に編成された浅草オペラによって大ヒット曲となっていきます。

帝国劇場の開場直後から始まった「帝劇歌劇部」は、浅草オペラや新劇運動などへ波及していきます。
大正5年(1916年)頃までイタリア人指導者の下で独自にオペレッタを上演。
本格的な西洋歌劇の普及に貢献したのは言うまでもありません。
大正中期にはロシア革命の影響で亡命したロシア人によるオペラ団の公演も行われています。
永井荷風は、亡命ロシア人によって組織された一座の演奏を、このように記しています。
顧るにオペラの始て帝国劇場に演奏せられたのは大正八年の秋九月であった。
わたくしは其の時までオペラの如き西洋の演芸が極東の都会に於て演奏せられようとは夢にだも思っていなかった。
当時我国興行界の事情と、殊にその財力とは西洋オペラの一座を遠く極東の地に招聘し得べきものでないと臆断していたので、
突然此事を聞き知った時のわたくしの驚愕は、欧洲戦乱の報を新聞紙上に見た時よりも遥に甚しきものがあった。
五年間に渉った欧洲の戦乱は極東の帝国に暴富の幸を与えたことは既に人の知る所である。
オペラ一座の渡来も要するに幸を東亜に与えた戦禍の一現象である。
ー 永井荷風 『帝国劇場のオペラ』
永井荷風のような知識人ではない、大正時代の人々。
異国の言葉、耳慣れない音楽、豪奢な舞台装置。
すべてを理解できた人ばかりでは、きっとなかったはずです。
それでも、人々は劇場へ足を運び、
「ハイカラ」な西洋文化に胸を躍らせたのではないでしょうか。
オーケストラの音色と、歌手たちの美しい歌声に包まれながら、
私は100年前の観客たちを、少しだけ身近に感じていました。
***
時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。
宮寺理美

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