【大正浪漫譚】銀座の夜とシャープペンシル

大正浪漫譚



その赤い箱には、白の英文字でこう書かれていた。
EVER READY SHARP PENCIL
いつも先が尖っている鉛筆。
私はゆっくりと箱を開ける。
そこには、黒と金の斜めストライプ柄があしらわれた、モダンなシャープペンシルが鎮座していた。
「わぁ、めっちゃ可愛い…!」
箱を開けて1人で興奮していると、それを聞きつけて夫が隣室から顔を出した。
「お、万年筆か?」
「ううん、これ、シャーペンなの」
「お、ストライプか。理美が好きなやつやん」

そう、これはシャーペン。
でも、ただのシャーペンではないのだ。

年号が変わって間もなくの大正4年(1915年)。
既にアメリカなどで発売されていた、「繰り出し鉛筆」、
今で言うシャープペンシルが国産化された。
その名も、「早川式繰出鉛筆」。
これはその復刻品なのだ。



本当はアンティークのものが欲しかったのだが、
実用には耐えられないけれど、コレクターアイテムとして高価なそれを、
私はずっと諦め続けていた。
せっかく買うなら、実用できるものを手元に置きたいのだ。

窓から爽やかな初夏の風が吹き、レースのカーテンが揺れた。
シャープペンシルも、陽の光を浴びてきらきらと光っていた。
きっと、発売当時の「早川式繰出鉛筆」とは、少し質感も違うのだろう。
この復刻品は、フリマアプリで見つけた、取引先への贈答用のものだ。
現在のシャープ株式会社の社名の由来になったのが、このシャープペンシルであることは、
これを見つけるまで、私は全く知らなかった。

「もっと高いのも販売されてたみたいだけど、可愛いし、結構満足だなぁ」
「ついに文房具まで集め始めるのか…」
夫はちょっとあきれているようだ。無理もない。
「これ、永井荷風の小説に出てきた鉛筆だと思うんだよね」
「へぇ、シャーペンじゃなくて鉛筆なんか?」
「そうなの。金鎖のついた鉛筆、って書いてあったんだよね」

夫とは本の貸し借りをしょっちゅうしているが、永井荷風の『つゆのあとさき』は未読だったようだ。
私は本棚を開け、ごそごそと探す。
夫婦2人で本を買いあさっているので、なかなかの量だが、
『つゆのあとさき』はすぐに見つけることができた。
女性性を強調したような、モダンなデザインの表紙が目を引く。

「これこれ!この文庫本に世間話みたいな小話が収録されててね…」

夫と並んで座り、ぱらぱらと小さな文庫本をめくる。
私は、この本に登場する「金鎖のついた鉛筆」が、
この「早川式繰出鉛筆」ではないかと睨んでいるのだーー


***

白いエプロンの紐を大きく前で蝶結びにした間に、柴山細工の根付をつけたビールの栓抜をはさみ、
金鎖のついた高価な鉛筆をぶら下げているのは、銀座辺のカッフェーでのみ見られる風俗であろう。
 ー永井荷風『カッフェー一夕話』


清純そうだけど、平気で二股も三股もする魔性の女。
当時の「退廃」を具現化したような女性、君江が登場する小説『つゆのあとさき』。
彼女が働くのは、銀座のカフェー、ドンフワン。
「女給さん」と呼ばれる職業が、現代の創作に登場するようなイメージとは少々離れていることは、
過去にも言及しました。
創作の中では、メイドさんやカフェ店員のように描写されることも多い女給さん。
けれど、関東大震災以降の都市部で「雨後の筍のように増えた」とも言われるカフェーは、
酒類を提供する、夜の店です。
当時、「女給」と言えば、そんなカフェーで働く女性を意味していました。


小説『つゆのあとさき』には、もう1作、永井荷風の手記『カッフェー一夕話』が収録されています。
「昭和3年12月稿」で締め括られるそれには、当時の女給さんのファッションが詳しく記されていました。

その中で私が注目したのは、「金鎖のついた高価な鉛筆」という表現。
根付として登場する「柴山細工」も高級品ですが、
この文脈の中で、あえて「高価な」と表現されるそれは、一体どんな鉛筆なんだろう?
それは、ずっと私の心に引っかかっていた、小さな疑問でした。

けれど、その答えは意外にも、シャープ株式会社のホームページにあったのです。

当時の人々はまだ和装で「ポケット」が無かったため、初期のシャープペンシルにはクリップが付いておらず、代わりに先頭に直径5ミリほどのリング(輪)がついていて、そこに紐を通し、ペンダントトップのように首からぶら下げて持ち歩けるようにしたそうです。
 ーSHARP Design StoriesIN HISTORY


永井荷風はカフェー通いで有名な人物。
きっと、今でいう「太客」という感じだったのではないでしょうか。
そんな彼が記した、銀座の女給さんの「高価な鉛筆」。
それは、金鎖をつけて自慢したい、ロマンチックなひとしなだったに違いありません。

金と黒のストライプの「早川式繰出鉛筆」からカチカチと芯を出し、
お気に入りのノートにさらさらと落書きをしてみれば、
そこに描き出されるのは、そんなシャープペンシルが紡ぐ、
大正ロマンの夢の続きなのかもしれません。


***

時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。

宮寺理美

<出典・参考>
SHARP Design StoriesIN HISTORY
永井荷風 『つゆのあとさき・カッフェー一夕話』 新潮文庫 2024年

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