【大正浪漫譚】誕生日とモダンライフの萌芽

大正浪漫譚



「ただいま~」
「お、おかえり。俺より遅いの珍しいな」
「ちょっと買い物しててさ」
玄関の扉を開けると、夫が先に帰ってきていた。
遅めの帰宅は久しぶり。今日は帰り道に、銀座に寄っていたのだ。
目的は1か所だけだったので、ウロウロする事はなかったけれど、
それでも、暗くなってからの銀座の街は、なんだかキラキラしていて、
自然も足取りも軽かった。

地下鉄銀座駅には、銀座松屋直通の出入り口がある。
そこを入れば、すぐに「デパ地下」だ。
文明堂で目当てのカステラを見つけ、
ついでに最近発売された蜂蜜のバウムクーヘンも買う事ができた。
うきうきしながら少し寄り道をしたのは、夫には内緒だ。

私の手にあった文明堂の紙袋を、夫がいち早く発見する。
「お、カステラ?」
「うん!でもカステラは私がケーキ作るのに使うから、こっち食べて」
蜂蜜のバウムクーヘンを手渡す。
「おっ、うまそうやん」と、夫は嬉しそうだ。



私は文明堂の黄色い包みを取り出す。
「でも、ケーキ作るのにカステラ使うんか?」
「うん、大正時代のケーキなんだけど、レシピにそう書いてあったんだよね」

お台所が忙しくなりますから、カステラは買うことにいたしませう。

私が見つけた大正時代の雑誌には、そんな一言が添えられていた。
当時の雑誌に掲載されているレシピや、小説に登場した食べ物の再現は、これで4品目。
冷蔵庫の無かった当時、クリームやバターの登場頻度は低いのだが、
カステラはよく登場する。
中には、ケーキのレシピに「カステラ」と書かれているケースもあって、
当時の「ケーキ」と「カステラ」の境目が、今よりも不明瞭だ。
文明堂のカステラは、私にとっては「ちょっとレトロなお菓子」だけど、
当時の人々からすれば、きっとハイカラなお菓子だったに違いない。

「大正時代のケーキかぁ…」
夫は、以前私が作った、大正時代のクリスマスケーキの、
脳天を突き抜ける甘さを思い出したようだ、
「誕生日の家庭懇親会のメニューっていうのがあったんだよね」
私が作ろうとしている「苺のカステラ」は、
コース料理のような和洋折衷メニューの中の、デザートとして登場したものだ。
買ってきたカステラに、メレンゲと小さく切った苺を挟んだケーキ。
誕生日にこんなハイカラなケーキを出されたら、現代人だって喜びそうだ。
味を想像するだけでわくわくして、自然に口角が上がってしまう。

近代化前の日本では、新しい年と共に年を重ねる、数え年が一般的だった。
そんなことを私に教えてくれた、大正時代生まれの祖母も、
子供の頃は誕生日にお祝いをするという習慣はなかった、と言っていた。

誕生日に食べる、特別なもの。
私は文明堂の黄色い包み紙を眺めながら、
大正時代の新聞に載っていた、
小さな赤ちゃんたちを思い出していた。

***

大正14年発行の『アサヒグラフ』。
その一面には、可愛い赤ちゃんが勢ぞろいしていました。

大正14年12月6日。
この日は、のちの昭和天皇である裕仁親王のご長女、
東久邇成子内親王が誕生した日。
この赤ちゃんたちは、皇孫と同じ日に生を受けた新時代の子供たちです。



誕生日。
それは、近代化と共に始まり、
第二次世界大戦という大きな節目の後に普及した、新文化とも言えます。

近代化前の日本には「誕生日」という概念はあまり根付いていませんでした。
それが変わる転機となったのは、
明治4年(1871年)の、戸籍法の制定でしょう。
それまで各府県ごとに行われていた戸籍作成の規則は、これを期に全国的に統一されていきます。

そんな中、明治6年(1873年)からは、グレゴリオ暦が導入されます。
制度が大きく変動する明治時代に、
こうして、個人の生年月日が、公的に記録されるようになっていったのです。

しかし、当時は新しい年と共に個人も年齢を重ねていく「数え年」の文化や、
旧暦を使う風習が根強くありました。
特に、農業で生計を立てる家庭には浸透しにくかったそうです。
旧暦と新暦の過渡期には、併記したカレンダーまで登場しました。
年号が変わったからと言って、生活習慣の基盤である「暦」を、
急に変えることができる人は、そう多くなかったのかもしれません。

明治35年(1902年)には、
「年齢計算ニ関スル法律」(明治35年12月2日法律第50号)が施行されます。
「誕生日が毎年やってくる」という考え方は、
法律を制定しないと浸透しないほど、当時としては「先進的な考え方」だったことが伺えます。
もしかしたら、人々にとっては、少々受け入れにくい事だったのかもしれません。

私が手にした大正時代の雑誌。
そこには「誕生日の祝いも兼ねた」のひとことが、少々小さい文字で書かれていました。
「家庭懇親会」という言葉も、令和を生きる私たちにとっては、少々耳慣れない響きです。
誕生日をお祝いするために豪華な食事をする、ということに
何か理由をつけなくてはいけない、という雰囲気も、少々感じ取れます。

誕生日にケーキを食べる。
それは、私たちにとっては、ごく当たり前の光景です。
けれど、大正時代の人々にとって、
それはまだ「新しい暮らし」の萌芽でしかなかったのかもしれません。

銀座の百貨店でカステラを買い、
家で苺を挟んで、ケーキを作る。
家族と笑い合って食卓を囲む。
そんな時間の積み重ねの先に、
今の「誕生日」があるのかもしれません。

文明堂の黄色い包み紙をそっと開きながら、
私は、100年前の誰かが思い描いた「モダンな暮らし」の続きを
今も生きているのかもしれません。

***

時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。

宮寺理美



<出典・参考>
国立公文書館デジタルアーカイブ 年齢計算ニ関スル法律・御署名原本・明治三十五年・法律第五十号
国立公文書館 公文書にみる日本のあゆみ
国立天文台 貴重資料展示室

Follow me!

コメント

error: Content is protected !!
PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました