こんばんは、宮寺理美です。
先日、大正時代の雑誌で、可愛い広告を見つけました。

私はこれを見て、まっさきに漫画『シャドーハウス』を思い出しました。
キラリと光るアクセサリーや髪飾りが際立つ、現代でも通用しそうなモダンな広告ですよね。
貴金属を取り扱う店の広告が、主婦向けの雑誌に掲載されているのは、
少なくとも、こういった雑誌を読む女性たちに向けて広告されていたという事になります。
影のように黒く縫いつぶされた女性のシルエットを見てみると、
左の女性は明治時代に普及した束髪、
右の女性は、近代化の時代より前から日本女性の間で受け継がれてきた日本髪。
実は、この二つの髪形に貴金属の髪飾りを合わせるのも、
大正という時代を紐解く鍵のひとつです。
髪飾りをよくよく観察すると、
明治から大正の社会そのものが見えてくるのです。
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明治18年、婦人束髪会が発足。
これを機に、束髪は中流~上流家庭に広まった、というのが、
美容や髪形の歴史を調べると、よく書かれている解説です。
そんな明治時代の雑誌には、こんな広告が掲載されていました。


当時、束髪に合わせられたのはリボン。
これは白粉の広告です。
この広告が掲載されていたのは雑誌『女学世界』。
表紙のイラストも、リボンをつけた女学生でした。指輪も当時の最先端の流行アイテムです。
広告の対象は、流行に敏感だった女学生たちだったのでしょう。
現在では、男女関係なく一定の年齢になれば、学校に通うのは当たり前ですが、
明治時代、教育を受けることができた女性は、ほんの一部。
女学生は決して、「普通の女の子」ではありませんでした。
当時の女学生たちのリボンについて調べてみたところ、
自分で結ぶのではなく、形が完成されている髪飾りだったようです。
中には、贈答用のリボンもあったことが分かりました。


水色などの淡い色で、ストライプなどのモダンなものが好まれたようですが、
資料が大変少なく、まだ確信に至っていません。
はいからさんのリボンは一体どんなリボンだったのか、
これからも研究を続けたいと思います。
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時代が下り、大正時代になると、
女学生は束髪などのボリューミーな髪型ではなく、おさげや断髪などに。
子供服も洋装が徐々に増えていたので、モダンなファッションの子供が多かったようです。
女学生のおさげの先には、相変わらずリボンが。
けれど、束髪の時代のような大きいリボンではありません。
袴も明治時代よりも短く、活動的な印象になりました。
大正時代になると、女性の進学率も徐々に向上してきます。
「普通の女の子」たちの手にも、ついにリボンが届くようになったのです。
けれど、束髪も変わらず愛されていました。
束髪にしている女性の年齢は少し上がった印象です。
少女というより大人の女性たち。
そして髪飾りは、リボンではなく洋風の簪、「洋挿し」へ変化しています。
このような「洋挿し」の流行の背景には、
セルロイドのような新しい素材の普及が関係しています。
加工しやすいセルロイドの登場で、簪は工業製品として生産できるようになっていったのです。


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リボンと簪は、どちらも女性たちの髪を彩る、小さなものです。
けれど、その小さな飾りを追いかけてみると、
100年前の「可愛い」の向こう側が見えてきます。
社会的な階層や、教育、工業。
難しい言葉で表現することも、いくらでもできます。
けれど、私があえて言葉にするなら、
これは「可愛い」の大衆化の軌跡。
「普通の女の子」の手に、モダンなお洒落が届いた時代の
ひとつの物語なのではないかと思うのです。
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時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。
宮寺理美
【出典・参考】
『はいからモダン袴スタイル』 河出書房新社 2005年

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