【大正浪漫譚】頭は大きければ大きいほど可愛い?大正時代の美意識

大正浪漫譚

こんばんは、宮寺理美です。

前回、リボンと簪をよく観察しながら、
明治~大正時代を紐解く記事を書きました。
髪飾りと近代化の関係は、「可愛い」の大衆化でもある。
前回の記事で、私はそんな結論を出しました。

その際、髪飾りと並行して髪型についても触れました。
実は、明治時代後期から大正時代は「大きな髪型」がブーム。
今回は、髪型と時代を紐解いてみます。

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これは私が所持している明治時代のブロマイド。
モデルの女性は華やかな着物姿です。
けれど、頭がやけに大きいと思いませんか?

明治時代の美人絵葉書。当時の絵葉書のモデルを務めた女性の多くは芸者でした。



以前、私は「昔の女性って毛量が多いんだなぁ」と思っていました。
けれど、当時の文化やファッションを調べているうちに、
実は、当時の女性たちは「毛量をあえて増やしている」のだと気が付いたのです。

明治時代の大きな髪型の代表としてよく登場するのは、
「二百三高地髷」と呼ばれる大きな束髪。
「庇髪」とも呼ばれますが、場合によっては「二百三高知髷」と「庇髪」を分けて呼んでおり、
呼び分けの基準がちょっと不明確な場合も多です。
ここまで大きいと、さすがにちょっと重そうですよね。

この二百三高地髷は、日露戦争の戦勝ムードも相まって流行したとよく言われています。
けれど、私個人的には、「流行した」と確信を持てるほどの数の資料を持っていません。
こうしたことは「ある」より「ない」を証明する方が実は難しいですので、
これからも注意深く資料を集めていきたいと思います。

明治後期~大正頃の女学生の写真。絵葉書の女性モデルと比較すると、髪型も着付けもゆるめです。


二百三高地髷ほどではありませんが、
確かに、明治時代後期から大正時代にかけての女性は、髪型がすごく大きいです。
束髪もかなりボリュームがありますし、日本髪は前髪の部分がとんでもなく大きいです。

大正末の女性誌。モダンな断髪と大きな髪型の対比がよく分かります。


こうした大きな髪型で大活躍したのは「かもじ」、
現代では「アンコ」「漉き毛」などと呼ばれるものです。
かもじは、当時はナイロンなどではなく、植物由来のもので生産されていました。

生産地である広島県矢野町では、大正時代末期が生産量のピークだったのだそうです。
ホームページには、当時の矢野町では、八割はかもじの生産に携わっていたという驚きのデータも。
明治から大正時代の女性たちの「頭のデカさ」は、
ひとつの町を工場だらけにするほどの経済効果だったのです。
(出典:矢野かもじ 日本伝統文化振興機構)

大正時代の雑誌に掲載されていた広告。


大正時代末期以降、モダンなウェーブヘアが流行すると、
以前は頭全体に仕様されていたかもじは、後ろ髪のみに使われていくようになります。
昭和初期以降は洋装も徐々に広まり、活動的でコンパクトな髪型が好まれるようになっていった印象です。
けれど、日本髪はまだまだ「古風で奥ゆかしい髪型」として愛されていたので、
気合を入れてお洒落をするときには、日本髪を結ってかもじをたっぷり使っていたようです。



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明治時代から大正時代にかけて、大きな髪型が流行した理由を、
今までずっと考えていました。

西洋の文化を取り入れたなら、もう少し小さくてもいい気がしますし、
束髪の普及のために発足した「婦人束髪会」が言うように、
衛生面が理由なら、それこそ断髪が1番理想的ですし、
大きな束髪は日本髪と同じくらい、結うのが難しかったとも言われています。

そんな「大きな髪型」が大正時代まで流行し続けたのは、
当時の女性たちの美意識にマッチした、という理由が
1番大きいのではないかと思うのです。

新しいものが人々の目を引き、
西洋の文化を受容した都市的なライフスタイルの追求が始まった大正時代。
庇髪は、そんな大正時代の女性たちが思う「最先端」だったのかもしれません。

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時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。

宮寺理美

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