こんにちは、宮寺理美です。
私が子供の頃にはこんなお洒落な呼び名は無かったように記憶しているのですが、
いつからか当たり前のようにこう呼ばれるようになったシルバーウィーク、
珍しく1人で、少し遠方に出かけました。
今回は大阪と京都へ。
観光が目的ではなく人に会うのが目的の旅行でした。
まずは大阪へ。
目的地は北浜~中之島エリアでした。
恐らく10年ぶりくらいに乗った堺筋線の北浜駅から地上に出ると、
すぐに難波橋のライオンにお目にかかれます。
銀座三越のライオンは結構きりっとしているのですが、
こちらのライオンはちょっと猫ちゃんっぽいです。
難波橋は1915年(大正4)竣工。大正浪漫です。
パリのセーヌ川に架かるヌフ橋とアレクサンドル3世橋を参考にしたとか、
1915年に動物園ができたからライオンがいるのだとか、
色々な説があるようですが、
どれも出典がどこなのか調べてみたものの、結局よく分かりませんでした。
1975年に、戦時中に金属供出で失われた欄干や橋上灯が復元されたそうです。
今回、大阪では、私の旗袍を作ってくれた蕾蕾(れいれい)さんにお会いしました。
SNSではずっと交流していて、メッセージや手紙でのやり取りはしていたので、
初めてお会いしたような気がしなくて。
私のSNSは私の好きな物の投稿がもちろん多いので、
互いに好みを知っているとそういう感覚になるのかもしれません。
何年も前に行って、心に残っていたカフェに再訪が叶いました。
「北浜レトロ」という、若い女性に大人気のカフェです。
私が行った時も行列で待った記憶があったのですが、
私たちが訪れた日も人がいっぱい。
1番乗りだったので外観で記念撮影させていただいちゃいましたが、
普通に行ったら多分記念撮影できないです。
北浜レトロビルヂングと呼ばれるこの建物は、1912年(明治45)に竣工。
実は国の登録有形文化財なんですよ。
現在のオーナーさんの意向で、当時の雰囲気を残した改修がされていました。
人がいっぱいで撮影は控えたのですが、階段やお手洗いもレトロで本当に素敵です。
お手洗いは頭上にタンクがあり、チェーンを引っ張って流すので、
若い方は使い方が分からないかもしれないですね。
英国式のアフタヌーンティーをいただきました。
実は、私の旗袍はウィリアム・モリスというイギリスのデザイナーの生地です。
モダンデザインの父とも呼ばれる人物。
蕾蕾さんが私の旗袍を作るときにこの生地を選んでくださったのですが、
大好きなテキスタイルデザイナーの生地だったので本当にびっくりしたんです。
英国式のアフタヌーンティーにぴったり。
ただの偶然にしては出来過ぎています。
さて、北浜レトロはモダンな外観の大阪証券取引所のお向かいにあります。
大阪証券取引所はここには1935年(昭和10)築。
2004年に改築が行われたので、よくも悪くも現代的な雰囲気になりました。
全身である大阪株式取引所は、NHK朝ドラ「あさが来た」にも登場した、
五代友厚氏が初代会頭です。
北浜レトロも、建物は元々は証券の仲買業者の社屋です。
食後のお散歩に大阪市中央公会堂も見学しました。
大阪市中央公会堂も株式が関連している建築物です。
1918年(大正7年)に竣工。こちらも国指定の重要文化財です。
株式仲買人の岩本栄之助氏が建設費として100万円を寄付し、建築計画がスタート。
しかし、岩本氏は第一次世界大戦が起因した株式の大変動で大損をしてしまい、中央公会堂の竣工前にピストル自殺してしまいます。
岩本氏は近代日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一氏が団長となった1909年(明治42)の渡米実業団に参加しています。
渋沢栄一は私の故郷、埼玉の偉人ですので、なんだか勝手にご縁を感じる建築です。
実質的な設計を行った辰野金吾氏は、東京駅でも知られています。
特別室、と呼ばれる大きな部屋には立派なステンドグラスがあります。
大阪市の市章『みおつくし』がデザイン化されたステンドグラスなのだとか。
立派な天井に描かれているのは日本書紀の「天地開闢(世界の始まり)」です。
中央の人物は素戔嗚尊(スサノオノミコト)、商売の神様でもありますね。
あまりも西洋絵画チックなのでギャップがおもしろいです。
なんと、気前よく貸していただけるそうなので、
いつかこんなところをお借りして何か催しをしてみたいですねぇ。
たくさん歩いて、たくさんお喋りして、
休憩しに入った喫茶店では、お姉さまが白バラコーヒーをぐびっとやっていて。
白バラコーヒーやオタフクソースは、東京だとあまり売ってないんですよ、
とお話したら、お土産にオタフクソースを下さいました。びっくり。
赤字なんじゃないかと心配したら「そんなんえぇねん~」
大阪っていいなぁとしみじみ。
と同時にちょっと申し訳ないな、と思ってしまう自分に東のDNAを感じました。
せっかく頂いたので、帰宅した翌日に西の味のやきそばを作りました。
当然のことながら、大変おいしくできました。
大阪で蕾蕾さんと別れた後は、電車で京都に向かいました。
友人の雪寧アキラ君の個展に伺うためです。
京都に着いてから色々な方に、どこに滞在するのか聞かれたのですが、
宿泊は元々しない予定だったので、お伝えするとちょっと驚かれる事が多かったです。
京都は京都自体がテーマパークみたいなもんなので、
確かにちょっと勿体なかったかなぁと思いつつ。
実は私は、観光地という場所の特性が、あまり好きじゃないんです。
観光地に出かけても自分の感性に刺さった場所しか行かないので、
いつも王道の観光はあまりしません。
私が「人に見せるための物語」しか用意されていない場所に、そこまで興味がないのは、
「人に見せるためではない物語」の複雑怪奇さ、
誤解を恐れずに言うなら、おもろさに魅了されてしまっているからです。
それは見せるために美しい上澄みだけを掬い上げた物語とは違い、
生々しさや真実味があります。そして、時には残酷です。
もちろん、時の地層の厚い場所なら、
「人に見せるためではない物語」もきっとたくさんあるでしょう。
しかし、毎日毎日訪れる他所の人に「お見せする」のに特化させてしまった場所では、
そこにいる人がそれらを自発的に語る事は殆ど無いです。
そして、それらを語る物事は、時間の流れと共にゆっくりゆっくり排除されていきます。
また、語らせようとするのも野暮であり、時と場合によっては残酷ですらあります。
でもやっぱり、私はドキュメンタリーが1番好きなんです。
生身の人間の足跡ほどおもしろい物はありません。
さて、前後の予定の兼ね合いもあったのですが、
雪寧君の個展には夕方頃に到着しました。
彼の作品を和室で見るなら夕刻、太陽が落ち始めた頃が1番美しいだろうと思っていたので、
早速答え合わせができてしまいました。
私はそこかしこに展示された彼の絵を見ながら、
谷崎潤一郎が『陰影礼賛』で描いていた漆器の下りを思い出していました。
京都に「わらんじや」と云う有名な料理屋があって、こゝの家では近頃まで客間に電燈をともさず、古風な燭台を使うのが名物になっていたが、ことしの春、久しぶりで行ってみると、いつの間にか行燈式の電燈を使うようになっている。
ー 『陰影礼賛』谷崎潤一郎
いつからこうしたのかと聞くと、去年からこれにいたしました。蝋燭の灯ではあまり暗すぎると仰っしゃるお客様が多いものでござりますから、拠んどころなくこう云う風に致しましたが、やはり昔のまゝの方がよいと仰っしゃるお方には、燭台を持って参りますと云う。
で、折角それを楽しみにして来たのであるから、燭台に替えて貰ったが、その時私が感じたのは、日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。
会場は谷崎潤一郎が語るところの「純日本風」ではありませんが、
現代人の私からすれば十分すぎるほどに純日本風です。
肺の底までの空気がすっかり入れ替わるほど堪能させていただきました。
本当に素敵な空間でした。
しかし、あまりにも弾丸旅行すぎて自分でも焦ってしまっていたようで、
日にちを間違えて予約し、会場の方にご迷惑をおかけしてしまいました。
大反省です。
そういえば雪寧君とも、会うのはまだ2回目でした。
まるで10年来の友人かと思うほど気の合う友人です。
個展は2023年9月29日まで開催されていますので、
お近くの方はぜひどうぞ。
旅行モノのような文章はしばらく書いていなかったので、
ブログを書くにも新鮮です。
埼玉で生まれて東京に住んでいる私には、西の文化は何から何まで新鮮でした。
以前はそれすらもあまり疑問に思いませんでしたが、
今は何から何まで不思議で面白く感じてなりません。
本を読んだり人と会ったりして知識をつけても、
結局増えていくのは知識より不思議の方が多いのかもしれません。
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