こんにちは、宮寺理美です。
ここでは『大正浪漫譚』と題したシリーズものを書いているのですが、
今回は、昨日開催したイベント<高円寺レトロ日和>について、今の気持ちを綴りたいと思います。
まず、お礼を言わせてください。
会場にお越しくださった方、来ることはできなくてもSNSを通じて応援してくださった方、
ご協力いただきました委託作家の皆様、
ならびに、今回の会場であるカフェギャラリーこころみの長谷川様。
たくさんの方のご協力で、今回のイベントを開催することができました。
本当にありがとうございました。
今回のイベントを思い立ったのは、
10年を超える自分のアンティーク生活の中で、自分の装いが徐々に変わったことがきっかけでした。
生活スタイルや年齢。
それらの変化と共に、似合うもの、しっくりくるものが変わって行くのも事実です。
新しい楽しみが生まれる反面、袖を通す機会が減ってしまったものを見るたびに、
「物としての生涯を全うさせてあげたい」という気持ちが、
少しずつ、澱のように心に募っていきました。
その反面、私の強みでもあるSNSでは、
私が大切にしてきたものを、簡単に消費されてしまう現実もあります。
可愛い。安い。手軽。便利。
値段はいくらですか?
どこで買えますか?
1つ1つのアンティークと向き合う姿勢をどんなにお見せしても、
SNSというプラットフォーム全体として、消費活動を後押しする傾向がとても強く、
私1人で抗うには、大変大きな流れです。
先日、Instagramで、よく受ける質問についてのアンサーをしたことがありました。
URL
このリールで発信したことが、今の私の言いたいことのすべてでもあります。
資本主義の現代社会の中で、消費なくしては人間は生きることはできません。
情報伝達のスピードもどんどん速くなり、
流行が移り変わるスピードは、10年前の比ではないほど早くなりました。
時を重ねたものたちも、販売というルートをたどれば、
当然、消費という大きな流れの一部となります。
けれども、アンティークはすでにたくさんの年月を経ているので、
ある日突然壊れてしまう事もしばしばあります。
新しい商品なら、すぐ壊れたら「不良品」と呼ばれます。
けれど、アンティークは違います。
それは「天寿を全うする」という言葉に近い感覚です。
流れの早すぎる消費活動の内側では、このような繊細さを伝えるのは困難です。
それでも、私はそのものが持つ「背景」も一緒に大切にしていきたかったのです。
なぜなら、私はものの背景も含めて、アンティークが好きだからです。
販売を主体としたイベントを開くなら、当然、活発な消費を呼び掛けた方が売上は確実に上がります。
時を重ねたものたちが、手軽に買える。
それはきっと、とても魅力的な提案です。
でも、それをしたときに、私は空しい気持ちになるだろうと強く感じました。
袖を通さなくなってしまったお気に入りたち。
そでも、好きだというのは変わりないから、大切にしてくれる人の手に渡したい。
そんな自分の気持ちを大切にするなら、どんな手段を選んだらいいだろう。
自分の内側でそんな問いを繰り返し、対面型のイベントという答えを出すのには、
少々時間を要しました。
このような経緯から、
<高円寺レトロ日和>というイベントは、大切なものを受け渡すためのイベントとして設計しました。
会場を探すのには、実はあまり時間がかかりませんでした。
今回の会場、カフェギャラリーこころみは偶然ネットで見つけたのですが、ほぼ即決でした。
築90年近くの古民家。ただ保存されているだけではなく、家族の営みをずっと見守ってきた建物。
高円寺には若いころから何度も足を運んでいましたが、
表通りから少し離れた場所に佇むこの建物は、地層のような時の重なりを感じることができ、
私の知っている高円寺の「カルチャーのごった煮」とは、少し違うたたずまいでした。
私が物と一緒に手渡したかったのは、その物が持つ物語です。
でも、それを口で説明すれば、とても重くなってしまいます。
この場所が持つ空気の中から、説明しなくてもきっと伝わるはず。
「ここなら、私がやりたいと思っていたことができる」
内見に伺う前に、すでに私はそんな確信を持っていました。
こうして企画したイベント、<高円寺レトロ日和>。
当日お越しくださった方に私の意図まで伝わったか、確かめる術はありません。
また、「物語ごと手渡す」というテーマは、
このイベントだけでなく、私がずっと取り組んでいる事でもあります。
明日や明後日ではなく、何か月も、何年も経ったときに、
ふと答え合わせができるかもしれません。
このイベントは1日限定なので、もうきっと開催することはないと思います。
けれど、誰かの手に渡った物語たちは、その手の中でずっと続いていきます。
イベントが終わった後も私の部屋はアンティークでいっぱいです。
時々、全てのものたちの終わりを見届けられるか不安になることもあります。
私の目が見えているうちに、すべての物語を見届けることがかなわないかもしれません。
それでも、手渡された物語は、どこかで静かに続いていくのだと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
宮寺理美

コメント