【大正浪漫譚・長崎編】離れる人々と、離れない人々 ー 長崎上海航路と眼鏡橋の物語

大正浪漫譚


長崎はレトロな路面電車が現役だ。東京で暮らす私にはそれが羨ましくて堪らない。
大正時代に人々の足として東京で活躍した路面電車は、今ではその痕跡すら無いからだ。
「これ、どっち行く電車なんだろう」
「路面電車むずいよな。広島のは簡単やけど」
夫は学生時代を広島で過ごしたので、路面電車はお手の物のようだ。
路面電車に乗っていると、建物の隙間から海が見えたような気がした。
今日の目的地、旧香港上海銀行長崎支店が近づいてきた。

海に面したその場所で、時の洗礼を受けた建物が異彩を放っている。
「建物かっこいいな」
香港上海銀行長崎支店は、現在は長崎港の歴史や、孫文の支援者として知られる梅屋庄吉の記念館として使用されている。
「ハイカラだよね、さすがイギリスの銀行って感じ」
「え、香港上海銀行だから中国の銀行やないん?」
「アヘン戦争後の香港で創立したから、イギリスの銀行なんだって」
当時の複雑な情勢の話をしながら玄関をくぐると、レトロな飴色の空間だ。
つやつやと光るカウンターや、優雅なデザインの高い天井が美しい。



梅屋庄吉は長崎出身の実業家で、中国で国父として慕われる孫文を支援した日本人のうちの1人だ。
そして、映画の製作と配給を行う日活の創業者の1人でもある。
でも、彼の名前は歴史的にそこまで有名ではない。
革命の中心にいたわけでも、英雄として語られる存在でもない。
実は私も、香港の友人であるキリちゃんに教えてもらうまで知らなかったのだ。
それでも、この場所には、彼が生きた確かな証があった。

受付を済ませて中に進むと、エメラルドグリーンの壁や美しい曲線を描く階段が私たちを迎えた。
2人で無言で展示物を眺めていると、ふと足が止まった。
そこにあったのは、梅屋庄吉夫妻と孫文の写真だった。
「なんか、優しそうな笑顔だね」
夫は私の隣で、うんうんと無言で頷く。
梅屋庄吉は、貿易商として成功する前に香港で写真館を営んでいた。
若き日の2人はそこで知り合ったのだそうだ。
2人を結びつけたのは、「革命」という言葉が象徴するような過激な思想ではなく、純粋な友情だったのかもしれない。
そんな風に思えるほど、3人は穏やかな笑顔を浮かべていた。


展示室には梅屋庄吉だけでなく、
長崎港、そして長崎華僑の歴史や、かつて存在していた長崎上海航路の資料が展示されていた。
隅にはパネルで仕切られ小部屋になっているコーナーがあった。
覗き込んでみると、古いジャズの試聴コーナーだった。壁面には当時の船の様子が印刷されている。
オレンジのレトロなランプも灯っていて、雰囲気たっぷりだ。
全部聴きたいくらいだったが、夫を待たせるのも忍びない。
私はひとしきり悩み、一つのボタンを押した。大好きな曲のひとつ「上海リル」だ。

涙をば隠して
笑顔で迎える
可愛い 可愛い
私の 上海リル

人々は笑顔で手を振りながら、港から離れていく。
戻る者もいれば、戻らない者もきっといたのだろう。
かつて港の銀行として賑わったその場所に背を向けると、私達は歩き始めた。

次に会いに行くのは、
離れなかった人々だ。

***


たくさんの人が海の向こうを目指す港。
長崎はその港によって育まれ、時には翻弄されながらその文化を熟成させた街です。
その港の賑やかさから少し内陸に入った場所に、長崎を代表する有名スポット、眼鏡橋があります。

2つのアーチが連なった橋が、水面に反射して眼鏡のように見える美しい光景。
日本に生まれた方なら、きっと誰しもが1度は見たことがある場所でしょう。
港で交わされた言葉、そして取引は、海から川を遡るように運ばれていきます。
時の洗礼を受けた風情のある石造りのその橋は、どこか異国の雰囲気を漂わせています。

眼鏡橋は、17世紀に中国から渡ってきた僧侶・黙子如定によって建てられたと伝えられています。
度重なる洪水。そして、そのたびに流されてしまう橋。
アーチ部分の穴があれば、水の流れをせき止めず、橋が流されることもありません。
「困っている人を助けてあげたい」
そんな黙子如定の気持ちの込められたこの橋が、今の長崎を象徴する場所になっていることが、
私には、ただの偶然とは思えませんでした。


人は去り、時代は変わります。
けれど、誰かを思ってかけられた橋は、
ずっと静かに残り続けます。
長崎という場所に根付く文化は、
そんなふうに、誰かから誰かの手に渡されてきたのかもしれません。


***


大正浪漫譚・長崎編の旅はこれにて閉幕です。
共に旅をしていただき、ありがとうございました。
時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。

宮寺理美

<出典・参考>
長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館 長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアム公式サイト

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