青い夜の空気の中、私の吐いた白い息がふわっと消えていく。
澄んだ空気は冷たいのに、神社の燈篭のオレンジ色の灯がほんのり暖かく感じる。
手持ちで1番暖かいコートの中に厚手のセーターを着こみ、私は夫と共に近所の神社に初詣に出掛けていた。
大晦日の夜。神社は参拝客でいっぱいだ。
「並んでる時が1番寒いよね」
「後でなんかあったかいもんでも食うか」
「まぁ、氷川神社に比べたらこんなの全然なんだけどね」
私の出身地である埼玉県には、「武蔵一之宮」と呼ばれる大宮氷川神社がある。
何もない、とよくイジられる埼玉県民だが、私の小さな誇りだ。
そんな氷川神社は、武蔵一之宮と呼ばれるだけあり、大晦日の夜は人で埋め尽くされる。
神社に向かう長い欅並木は人で埋め尽くされ、境内は入場制限がかかる。
賽銭箱の前は、かのディズニーランドもびっくりの大混雑だ。
「八幡浜は?定番スポットとかあるの?」
「八幡神社かな?ま、うちの初詣は裏の神社やけどな」
夫の故郷である愛媛県八幡浜市は、その名の通り八幡大神が地名の由来だ。
なんと奈良時代から八幡大神が鎮座していたのだそうだ。
夫は、私よりもずっと「神社」という存在と縁が深いように思う。
というのも、彼の実家は小さな神社の鳥居の内側にあるのだ。
不思議な立地だが、彼の家族にとっては当たり前の事らしく、なぜここに家があるのか疑問に思う家族はいないようだ。

少しずつ賽銭箱が近づいてくるが、皆何かを熱心に願っていて、なかなか進まない。
「みんな熱心やな」
「昔は地べたに座って神様を拝んでたらしいよ。あんなに長い時間願い事してたら足が痛くなりそうだよね」
「そうなんや、地べたはちょっと冷たそうやな」
そう、実は立ったまま神様を拝むスタイルが広まったのには、日本の近代化と深い関係がある。
そろそろ回って来そうな順番を待ちながら、私は大正時代の新聞記事を思い出していた。
* * *
はいからさん、モダンガール、書生さん、洋食などの和洋折衷文化…
大正時代の文化には、そんな華やかなイメージがありますよね。
しかし、令和を生きる私たちが古来からのものだと思っている習慣にも、大正時代の文化が大きな影響を与えていることがあります。
実は、お正月の定番「初詣」もそんな文化のひとつ。初詣は大正ロマンだったんです。
現在の初詣のスタイルが定着したのは、意外にも列車の普及がきっかけでした。
明治時代以降に発展した列車は、大正時代の人々を様々な場所に運びました。
「プチ旅行」は大正時代のブーム。
川崎大師、穴守稲荷神社、成田山新勝寺などなど、有名な神社の近くには大体駅がありますよね。
上記3社の神社にも、もちろん駅があります。しかも、それらの駅は明治時代からあるのだそうです。
その目的はもちろん、たくさんの参拝客の足となるためでした。
古来、お正月には初詣とは異なる文化がありました。
「年籠り」と呼ばれ、家長のみが大晦日の夜から元日の朝にかけて神社に泊まり込み、一晩中眠らずに火を焚き、五穀豊穣や家内安全を祈願する儀式です。
現代に続く初詣と比べると、かなりハードですよね。
また、江戸時代までは「恵方詣り」も一般的でした。
恵方巻きを食べるのと同じ要領で、その年に自分の家から見て縁起の良い方角にある寺や神社に参拝する習慣です。
恵方は毎年変わります。つまり、毎年初詣に行く神社が違うということです。
これは鉄道会社にとって一大事です。場所が変わってしまえば、「今年は人がたくさん来ても来年は来てくれない」なんてことになってしまいますよね。
せっかく駅を作っても、これでは赤字になってしまいかねません。
そこで、鉄道各社は「有名な神社仏閣に初詣に行く」というスタイルを大々的にPRします。こうして、初詣の定番スポットが誕生しました。

近代化によって変わったのは、人々のファッションや食文化だけではありません。
「神様への接し方」もその一つでした。
ちなみに、「二例二拍手一礼」という神社の参拝方式も、明治時代の神仏分離以降のものです。
それよりも前は、神社でも仏様でも「地面に座って手を合わせる」という参拝方法でした。
神仏分離は古くからの文化習慣を破壊してしまったので、批判される面も多々あります。
しかし、現代人の私としてはこの参拝方法はありがたいです…地面に座るのはちょっと厳しいです。
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時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、毎週日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
宮寺理美
<参考>
平山昇『鉄道が変えた社寺参詣 – 初詣は鉄道とともに生まれ育った』交通新聞社新書 2012年10月


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