こんにちは、宮寺理美です。
今日は2025年8月15日、80回目の終戦記念日です。
「記念」という言葉にお祝い事の意味も含まれるので、最近は終戦の日と呼ばれる事も多いようです。
現代の日本を生きていれば、この日に特別な感情を抱くのは自然な事かもしれません。
しかし、戦争を経験した世代も高齢化どころかほぼ亡くなりつつある現代日本で、
どのように「戦争は絶対ダメ」という倫理観を受け継ぐのか、課題も多いです。
にも関わらず、今までと同じやり方、つまり戦争被害や悲しい経験を強調し、
お涙頂戴演出を踏襲するメディアが圧倒的に多いように感じます。
戦争が残酷で凄惨だという事はもちろん報道するべきです。
しかし、余りにも情緒に偏り過ぎているように私は感じます。

私は幼少の頃、仕事をする両親に代わって、父方の祖母に面倒を見てもらっていました。
幼稚園が終われば祖母の家に行き、両親の仕事が終わるまでは祖母と一緒に過ごしました。
祖母の家にいると、近所の高齢の女性と接する機会も多く、
彼女たちが複数人集まれば、そのたびに戦時中の生活苦の話を聞いてきました。
そのせいか、私にとって戦争は生活苦、そして空襲への恐怖のイメージが大変強かったです。
実際に、祖母からは工場地帯への空襲のついでに、
駅などで民間人を狙撃したアメリカの飛行機の話も何回か聞いた記憶があります。
もちろん間接的に聞いた話なので、私には真実かどうか確かめる術はありませんが。
今思えば、ご近所のご婦人方に夫や息子を戦争で亡くされた方等もいたと思います。
しかし、みんなで共有するには重すぎる苦しみだったのかもしれません。
このような事が日常的だったので、
毎年繰り返される「もう二度と戦争をしてはいけない」というワードにも、
疑問を持つ事なく当たり前のように受け止めていました。
「そりゃ、あんだけ大変ならやっちゃダメだよな」という感覚です。
でも、戦争で辛い思いをしたはずの祖母が、
お皿を洗う時に軍歌を口ずさむのを不思議に思っていました。
人間とはアンビバレンスな生き物なのだと、なんとなく知っていたのはこのせいかもしれません。

2018年、特に強い動機もなく「SNS好きだしな」と中国のSNSを始めてから、
私にとって衝撃的な出来事がたくさんありました。
中でも特に理解できず困惑したのは、
日本の終戦記念日を「日本敗戦投降日」として喜ぶ風潮があったことです。
7月7日(盧溝橋事件)、9月18日(満州事変)、12月13日(南京大虐殺)、
この日は投稿を控えるのは、最近では中国のSNSを運用している人々の間では常識です。
実際に中国の芸能人などでも、この日に不用意な発言をして大炎上し、仕事を失った人もいます。
しかし、一見すると8月15日は中国には関係ありませんよね。
中国のSNS、特に微博はこういった「大切な日」に敏感なプラットフォームです。
は私達日本人が通常使うSNSよりもアルゴリズム優位で、
注目されている投稿は自然と目につくようになっていますし、
記念日の人民解放軍のパレードなどもライブ配信されています。
当時は知らない事だらけだったので、最初の1年はおっかなびっくりでしたし、
パレードのライブ配信も、どんな気持ちでいればいいのか分かりませんでした。
なぜこのような現象が起こっているのか理解する必要があると感じ、世界史と中国史を再学習する事にしました。
現代人の価値観は教育が作っていますし、文化的背景も歴史を勉強すれば大体分かります。
子供の頃から歴史の授業が好きだったので、自然とそのように考えるようになっていたので、
理解できない事があれば本を読む習慣を持っていたのは幸いでした。
中国史については再学習と言えるほどの知識も無かったので、ほぼ1から始めるような感じでした。
当然、知らない事だらけでした。
再学習については今もずっと継続中ではあります。
最近は各国の歴史の教科書を日本語訳にした「世界の教科書シリーズ」という本を集めています。
その国の価値観で語られる歴史は当然教育に反映されるので、海外の友人が多い私にはとても役に立つ本です。
残念ながら廃版になっているので、現在は古書でしか入手できません。
中国史はボリュームがかなりあるので、せかせか読まずにのんびり読み進めています。
中でも少なからずショックを受けたのは、重慶爆撃についての記述です。
1938年から1943年までの間に行われた無差別爆撃は211回、10万人以上の死傷者を出しました。
当初は軍事施設などを対象にしていたものの、事実上ほぼ無差別爆撃です。
日本では空襲被害を強調して「戦争はダメ」という文脈に繋げられる事が多いように感じますが、
自国が非戦闘員にどんな事をしたのか知る機会はほぼありません。
蒋介石軍がわざわざ軍事施設を市街地に移したからやむを得なかった、という主張もあるようですが、
帝国主義時代の日本軍の事を少々調べてみるだけでも、かの組織が当時そんな人道的な事を考慮していたとは私には思えないです。
中国史では当然「抗日戦争」の項目がかなり重視されていて、ページ数も膨大です。
ご存じない方もいるかもしれませんが、現在の中国の国家も「義勇軍行進曲」、ネットの言葉を借りるなら「反日ソング」です。
日本のファシズムに打ち勝った記憶は、全人民が共有している記憶、と言い換えることもできます。
日本における敗戦の記憶と同じような扱いですね。
8月15日は日本にとっては平和を祈る日であったり、戦没者を悼む日です。
しかし、立場が変われば反ファシズムの勝利記念日です。
当然と言えば当然です。
このような事を理解して以降は、私にとって終戦記念日は、
「立場が変われば視点が変わる」という事を痛感する日となりました。
私の祖母が亡くなったのは私が18歳の時、間もなく高校を卒業する年齢だったのでよく覚えています。
祖母が丹精込めて育てていたけどなかなか咲かないと言っていた淡い紫色の鉄線の花が、
信じられないほど満開に咲いていました。
亡くなった祖母は叔父と2人で暮らしていました。
でも、冷蔵庫には賞味期限が切れた食べ物も含めて、ものがパンパンに詰まっていました。
賞味期限切れのシュークリームも冷凍保存されていました。
一度でも死を覚悟するほどの飢餓を経験すると、こうなるのかもしれません。
「ちょっとお腹壊すだけ!って言い聞かせながら子供に雑草を食べさせた」
「あそこの兵隊さんのおうちにはお砂糖がたくさんあった」
「帰還兵のあそこのおじさんは、肩で風を切りながらエラそうに歩いてた」
「息子を連れて歩いていたらアメリカの飛行機が来て、
蝙蝠傘をさして震えながら川に入って、飛行機が通り過ぎるのを祈った」
私が聞いた女性たちの戦争体験は数え切れません。
実家を離れ、婚家で子育てをしながら戦争を乗り切る。
ただ子供を育てるだけでも、毎日は戦争です。
実際に戦争しながら子供を育てるなんて、現代日本人には考えられないでしょう。
数年前に映画『この世界の片隅に』を見た時は感動しました。
私以外にも彼女たちを知っている人がこんなにいたんだ、と心が震えました。
でも、終戦の時に彼女たちが何を感じたのかなど、
核心に触れるような話は一切聞きませんでした。
それは一つの答えなのかもしれません。
「語れない事もある」「語りたくない事もある」という答え。
世界史を再学習してみて、もう一つ良かった点がありました。
それは、戦争をしないための社会を作るのは一般人の意識ではなく、
政治だという事が分かったことです。
先日の衆議院選挙で自民党が歴史的大敗を期したのも記憶に新しいです。
このままの政治ではマズいと考えている人が多いという事が反映された結果なのではないでしょうか。
今はどうなのか分かりませんが、
私は学校で税金や選挙についてきちんと習った記憶があまりありません。
システムだけでなく、各党がどんな思想でどんな政策を実施しているのか、など、
知っておくべき点が多いにも関わらず、知らない人が多いのはそのためでしょう。
誰にも教えて貰えない、けど投票権は授ける。
一見権利を渡しているように見えますが、あまりにも無責任に感じるのは私だけでしょうか。
しかし、SNSでは不満をぶちまけたり、1つの政党に極端に肩入れする人も多く、
情報収集の仕方も分からない人が多いのが現状のように思います。
これは大変よろしくないと感じています。
せめて、もう少しフラットな情報を入手できるメディアが必要です。
また、自分の経験から、
日本の歴史教育は大変よろしくないとも思います。
第二次世界大戦、太平洋戦争以外の戦争は年号と名称、概要しか教えません。
しかし、欧米諸国からすると第一次世界大戦の方がよほど恐ろしがられているらしい、というのも、
私はだいぶ大人になってから感じ取りました。
それも、実際に欧米圏の人とSNSを通じて知り合って以降の事です。
実際に人に接してみないと理解できていない、というのは、
つまり、相手の地雷がどこにあるのか分かっていないという事でもあります。
最近はK-POP等の影響で、
美容目的で韓国に行ったり、韓国語学習者も大変増えたそうですが、
韓国に日本統治時代があったことをきちんと理解している人は、あまりいないように感じます。
台湾や香港では、日本統治時代の建造物がカフェなどに改装されているケースもありますが、
無邪気な人が「統治時代」という単語を連発しているのを見ると、こちらがヒヤヒヤするほどです。
帝国主義時代の日本の統治は、そんなに簡単に消費していいものでは決してありません。
本当に韓国や台湾がお好きなら、その程度の事は理解しておくべきだと私は思います。
SNSですぐに海外とアクセスできる時代に、このような無知はさすがによろしくないですし、
それもこれもすべて歴史教育の不足が原因だと私は思います。
第二次世界大戦と太平洋戦争以外の戦争の方が、我々に対する影響は大きいのに、
年号と名称しか認識させない教育は今すぐ改めるべきです。
終戦80年、色々な思いを抱えている人が、同じ空の下で暮らしています。
悲しむ人、喜ぶ人、複雑な気持ちを抱えたままの人、何も考えていない人、
戦争の記憶は、残念ながら政治に利用されやすいです。
戦争被害を強調して自国の利を確保するのにも使えます。
しかし、我々一般人は政治家ではありません。
政治家に税金からギャラを払って政治を委託しているんです。
「戦争絶対ダメ」には私も大賛成です。でも、平和は願うだけでは持続できません。
世界が変わりつつあるこの時代に、平和の持続方法を今一度考えるべき段階が来ているように思います。
世界唯一の被爆国に生まれたこの身で、息を止めるまでに何ができるのか考えてみれば、
いつも私個人にできる事がとても少ないことを思い知ります。
しかし、ただひとつだけできることがあるとすれば、
その時が来るまで考え続え、いつも最良だと思う選択をする事しかないのです。
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