【大正浪漫譚】怪物とラヂオ、震災とモダンライフ

大正浪漫譚


※この記事では、関東大震災や震災時の流言被害について触れています。
震災の記憶に不安を感じる方は、ご自身の心を大切にしながらお読みいただければ幸いです。


ラジオパーソナリティーの女性の軽快なトークが、ヘッドフォンから流れてきた。
どうやら私が待っていた番組が始まったらしい。
好きなバンドの新曲発表を控えて、少しそわそわした気分になりながら、
私はヘッドフォンの位置を少し直した。
ヘッドフォンで耳が塞がれている閉塞感で、現実世界から隔離されたような気分になる。



ラジオで新曲発表なんて、なんだか少し古風な気もする。
けれど、今はradikoに少々課金さえすれば、
東京にいながら、地方局のラジオ番組も聞くことができる。
ラジオ放送が開始した大正時代は、放送局が近くても良く聞こえなかったのだそうだ。
100年前に比べれば、信じられないくらい便利になったのだろう。
ラジオも、その他の生活も。

そんなことを考えながら、外出が続いて少し乱雑になってしまった部屋を片付け、
着物を畳みながらラジオを聴く。
指先をするすると触れる絹の感覚が気持ち良い。
夫はすでに夢の中だ。
起こさないようにそっと動かなければならない。

着物を畳んだせいか、少し埃が舞ってしまった。
空気を入れ替えるために、なるべく音を立てないように、静かに窓を開けると、
窓の隙間からひんやりした空気が流れ込んでくる。
眠った街がカーテンの隙間から覗いている。

『それでは、お待たせいたしました。宇宙初公開!ビレッジマンズストア、<頭が足りない>』

ヘッドフォンから流れる、好きなバンドの新曲。
眠ったままの街には似つかわしくない、騒々しいその音を聴きながら、
私は、日本でラジオ放送がはじまった時代のことを思い出していた。

***

「JOAK、JOAK、こちらは東京放送局でございます」

日本におけるラジオ放送は、こんな一言から幕を開けたと言われています。
大正14年(1925年)3月22日、社団法人東京放送局、現在のNHKから始まったラジオ放送。
新しいメディアとして出現したラジオは、家庭の娯楽としても広く受け入れられていきました。
しかし、その背景にあったのは、大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災。
そして、それによって生まれた「怪物」の存在でした。


震災で壊滅状態となった東京。当然、新聞社もその被害を免れず、社屋の倒壊などで機能停止に陥ります。
関東大震災の死者・行方不明者は推定10万超。明治以降の地震被害としては最大規模の被害です。
そんな大震災の混乱の最中、人々を更なる恐怖に陥れた怪物。
それは、「デマ」でした。

流言はどこからともなく果てしなく湧いて、それはまたたく間に巨大な怪物に化し、複雑に重なり合い入り乱れ人々に激しい恐怖を巻き起こさせていった
 ー 吉村昭『関東大震災』

上野に大津波が襲来した」「富士山が爆発した」「秩父連山が噴火した」などという偽情報がまことしやかに流れ、地方紙に掲載された。
 ー 吉村昭『関東大震災』


デマの発生と急速な拡散。
それは、朝鮮人虐殺という悲惨な事件まで引き起こしました。
この「怪物」の出現が、ラジオ放送の誕生を早めるきっかけとなったのは、言うまでもないことでしょう。
また、震災直後、横浜港に停泊中の船が船舶無線で被災状況や救援要請をいち早く伝えるなど、
無線による情報伝達が一部で機能したことも、ラジオ放送への要望が急速に高まる一因にもなりました。
震災によって、速報性の大切さを痛感した人々、そして政府の手によって生まれたラジオ。
その速報性が国民に認識されたのは、大正天皇崩御のニュースだったとも言われています。

震災からの復興を報じる当時の新聞



時代を少し下った、昭和初期の私娼街・玉の井を舞台にした永井荷風の『墨東綺譚』では、
主人公の小説家が、隣家のラジオから流れる騒音を避ける描写が、度々登場します。
ラジオは昭和初期にかけて、家庭の娯楽として普及し、流行歌の誕生にも大きく貢献しました。
西洋風の歌謡曲が広く一般に親しまれるようになったのも、ラジオの普及があったから。
ラジオの速報性は、新しい物好きな日本人の嗜好にも合っていたのかもしれませんね。

ラジオ放送開始当初は、まだスピーカーがなく、
ヘッドフォンで聴く鉱石ラジオが主流だったのだそうです。
ヘッドフォンをつけ、耳をふさがれた閉塞感と没入感の中、最新の娯楽に耳を傾ける。
そんなひとときを、大正時代の人々はどんな風に過ごしていたのでしょう。
令和を生きる私と同じように、好きな曲が流れた瞬間に胸を躍らせていたのかもしれません。


***


時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。

宮寺理美

<出典・参考>
吉村昭 『新装版 関東大震災』 文春文庫 2004年
永井荷風 『墨東綺譚』 新潮文庫 2001年
NHKラジオ放送史
「関東大震災100年」 震災の「警鐘」をいかに受け止めるか

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