やはり、背表紙がずらりと並んだ光景は胸がときめく。
懐かしい喫茶店でアイリッシュコーヒーを注文し、私はため息をついた。
「いやぁ、今日はいい日だなぁ…」
「大袈裟やな」
「でも、絶版になってる本ってこういうところでしか買えないからね」
「確かに。そう思うとラッキーだったかもな」
神保町に来るのは何年ぶりだろう。
ここ数年間は出かけるのが億劫で、本はネットで買うばかりだったが、
店頭で好きな本を見つけて購入するのは、宝探しのようでうきうきする。
その結果、ずっしり重くなった荷物を抱えて歩くのに疲れた私たちは、喫茶店で休憩を決め込んだのだった。

白いシャツに揃いのエプロンを着た店員が、私が頼んだアイリッシュコーヒーを持ってきてくれた。
夫は私おすすめのコーヒーゼリーにカフェオレ。
珈琲を飲みながら、今日買った本をごそごそやっていると、夫も自分の鞄の中をごそごそやり始めた。
私の購入品は大正時代の雑誌数冊と、割烹着の型紙、
そして、大正時代以降に活躍した画家、蕗谷虹次のサイン本だ。
年代はさほど古くないのだが、大正時代の画家が確かに生きていたことを、ひしひしと感じられた。
そして、古本市ではなく、通りすがりの書店にあった『人間失格』の初版本も、嬉しい収穫だった。
「いやぁ、ちょっと買いすぎちゃったね」
「まぁええんやないか?普段、そんなに古本市行かないもんな」
古本市に行くと、普段書店には並びにくい年代物の雑誌などもあるせいか、買いすぎてしまいがちだ。
私は、さっき書店で購入した『人間失格』を、いそいそとテーブルに出して眺める。
淡いオレンジ色の表紙には、薄い紙のカバーがかかっている。カバーを取って中を見てみたいが、さすがに家に帰るまで我慢しよう。
太宰治の作品はファンが多い。その一方で、「共感できない」「イライラする」等の声も多く聞くが、
彼の作品に込められてた苦悩や生きづらさは、現代人にも通じるものなのではないだろうか。
私たちは本を読み、感想を抱く。時には感じたことをSNSに投稿したりもする。
しかし、そんな「当たり前」は、いつの時代も許された事ではなかった。
明治から大正時代にかけて、小説や新聞は「俗悪で有害」と、保守的な知識人たちからは酷評されていた。
近代化の時代。
それは、技術の革新と教育水準の向上によって、文章を主体にしたメディアが急速に普及し、
生き方の変化と共に、生活に余白が求められ始めた時代だ。
娯楽性の高い大衆小説が流行するのは必然のように感じるのだが、当時の知識人たちはそれらを「一般大衆に悪影響を及ぼす」と判断した。
私は、小さな持ち手の付いた容器に入ったブランデーを、そっとコーヒーに注ぐ。
コーヒーの湯気にふわっと香りがつく。
夫は、私が考え事をしている隙に、私から借りていた『小説神髄』を読み始めていた。

***
江戸時代末期から明治時代にかけて、教育家として活躍した福沢諭吉の『学問のすすめ』は、
明治時代のベストセラーとして知られる名著です。
しかし、その数年前に出版された、中村正直による翻訳本『西国立志編』は、
『学問のすすめ』と比較すると、現代ではあまり知られていないようです。
しかし、こちらも当時のベストセラー。
「天は自ら助くる者を助く」という独立独行の精神は、彼の思想の根幹です。
そんな中村正直は、「小説ヲ蔵スル四害」を書き、小説という存在を痛烈に批判しました。
・品行を敗る
・学術を妨ぐる
・人心を惑わす
・国家に害あり
「小説なんて読んでいると国家に害のある人間になってしまう」
ちょっと飛躍しすぎではないだろうか?と思うような批判ですが、当時ヒットした大衆小説にその批判の理由が隠されているかもしれません。
例えば、黒岩涙香が翻訳した探偵小説。グロテスクな表現もあり、当時の人からすればかなり刺激的だったでしょう。
犯罪や暴力を描く物語は、秩序を乱すものと受け取られたのかもしれません。
少し時代を下りますが、明治30年代から大正時代までヒットし、ラジオドラマ化までされた尾崎紅葉の『金色夜叉』。
金と愛と男と女、という感じで、男女の愛憎と共に世相を描いた大衆向けの小説です。
現代人からすれば「まぁそういう事もありますよね」という感じですが、当時はまだ自由な恋愛すら異例だった時代です。
こうした小説批判は、現代でいうところのSNS批判のようなものだったのかもしれません。
神保町で古書を眺めたり、書店で本を選ぶ私達は、
かつて読む事を咎められた人たちの、続きの時代を生きています。
荷物がずっしりと重くなった帰り道。
それはもしかしたら、「自由」の重さなのかもしれません。

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時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。
宮寺理美

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