おや、先日購入した物がポストに届いたようだ。
冷え込む雨の休日、二度寝を満喫していたが、いい加減に目を覚まそうかと思ったら、スマホの通知が来ていた。
最近の東京は、私にとってすっかりつまらない街になってしまった。
円安で訪日観光客が増加傾向なのは喜ばしい事なのかもしれない。
しかし、東京に遊びに来る客層は「安いから」日本を選ぶ人ばかりだ。
月に1回ほど各地で開催される骨董市や、大正ロマンの街である銀座にも、そんな訪日観光客が溢れているのが当たり前になってしまった。
そんなわけで、最近の私はすっかり引きこもりだ。買い物もすっかりオンラインばかりになってしまった。
欲しいものは指先ひとつで届くけれど、心が動く瞬間は、少しずつ減っている気もする。
しかし、悪い事ばかりでもない。オンラインショップには普段目にしない物も多く、なかなか新鮮だ。
今日届いたのは、普段は買い物をしないショップで販売されていたポストカードだ。
未使用とはいえ少し古い感触だが、コレクション品としては十分な保存状態だ。
「お、何か届いたんか」
「うん、杉浦非水のポストカードだよ。これ覚えてる?」
ポストに届いていた小さな茶色い封筒からそのポストカードを出してみる。夫はそれを興味深そうに眺めていた。
「これ、愛媛で見たやつだな」
ふふん、と私はちょっと得意になる。この手のポストカードは、探してみても意外に売っていないのだ。
今年のお盆休みは夫の故郷である愛媛に帰省した。彼の故郷は海に抱かれた八幡浜市という小さな街だ。
お隣には大洲市という、レトロな町並みが素敵な場所がある。その中でも、昭和レトロな雑貨が所狭しと並べられた思ひ出倉庫は、私のお気に入りスポットだった。
「そうそう、思ひ出倉庫にあったポスター。これ、杉浦非水のデザインなんだよ。名古屋のめっちゃ派手なステンドグラス見せたでしょ?」
「あぁ、あの花とかすごい派手なやつな。この着物とかも、理美が好きそうな柄やな」
川上貞奴女史の邸宅のステンドグラスは確かにとても華やかだった。
このポストカードにも、大正時代を彩った華やかな雰囲気が漂っている。

杉浦非水は、デザイナーという職業が日本でまだ認知されておらず、ポスターや本の装幀も画家が担っていた時代に、印刷技術や装幀に合わせて図案をデザインした人物だ。
大正時代に三越百貨店とタッグを組み、優れたデザインを世に送り出した杉浦非水は、時代を変えた人と言っても過言ではない。
でも、夫は知らない。杉浦非水は、実は夫と同じく愛媛県出身だ。しかも、杉浦非水の妻である杉浦翠子は、私と同じ埼玉出身なのだ。
そんなこともあり、私は杉浦非水には特別な憧れを抱いていた。
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明治38年(1905年)、全国の主要新聞紙上で高らかに新時代のビジネス展開を宣言した三越百貨店の「アパートメントストア宣言」。日本における百貨店の歴史は、ここから始まったと言っても良いでしょう。
大正3年(1914年)に落成した新店舗は豪奢なルネッサンス様式。日本初のエスカレーターやエレベーターに、当日の人々は目を見張りました。現在でも三越のシンボルであるライオン像も、この時に設置されたのだそうです。
当時の百貨店はただの販売所ではなく、西洋の文化や新習慣を人々に提案する文化施設でもありました。
そんな文化の発信地に相応しい商業デザインは、三越百貨店にとって不可欠であり、命題でもあったでしょう。
しかし、当時のグラフィックデザインは、著名画家が片手間でこなす仕事、もしくは印刷所の仕事でした。
杉浦非水氏はそんな時代、ほぼ無名の新人であったにも関わらず大抜擢されました。あくまで正社員ではなく嘱託社員という立場を貫き、三越百貨店以外の仕事もこなします。
個人に合わせた多様な働き方が求められ始めた現代では当たり前かもしれませんが、大正時代当時はまだまだ新しい働き方でした。
また、杉浦非水氏は、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)教授、多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)初代校長兼図案科主任教授と、教育職を通じてデザインという新しい概念を次世代に手渡していったのです。
杉浦非水氏のデザインは女性と街というテーマが多く見られます。
街を闊歩する女性、最新のファッションに身を包む女性…
彼の妻は、女性が働く事が当たり前ではない時代に、アララギ派の歌人として活躍した先進的な女性、杉浦翠子女史。
気鋭のデザイナーと華やかな女流歌人という夫婦はアイコニックなモボ・モガとして注目の的でした。
杉浦非水氏がデザインした女性は、当時流行のアール・デコやアール・ヌーヴォーの流れを汲んだファッションに身を包み、活き活きと輝いています。
その洗練されたデザインは、着物にも採用されました。
それらのデザインは、単に百貨店のマーケティングだけでなく、当時の女性達を鼓舞していたのかもしれませんね。


三越百貨店が百貨店としての営業を本格化させると、他の老舗呉服店も相次いで百貨店へと転身していきます。
大正時代の銀座で花開いた大正ロマン。その発信源であり立役者となったのは、他でもない百貨店でした。
人々は百貨店で見たのは、西洋の珍しい品々や文化だけでなく、近代化という夢の欠片だったのかもしれません。
それは、令和を生きる私にも、色鮮やかな夢を見させてくれます。
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時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、毎週日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。
宮寺理美

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