「この坂やべぇな」
「嘘でしょ…勘弁して…」
神戸に到着してから坂道を嫌というほど歩いた私は、思わずつぶやいた。
芦屋川沿いを歩いている時は気持ちの良い道だと思っていたが、その先のライト坂はかなり急だった。
神戸近郊には本当に坂が多い。一歩一歩が重く、足にダンベルでもついているかのようだ。
ここライト坂は、坂の上にそびえたつヨドコウ迎賓館を設計したアメリカの建築家、フランク・ロイド・ライト氏にあやかって名付けられた。
芦屋の高台から街を見下ろすヨドコウ迎賓館は、灘の酒造家、八代目山邑太左衛門の別邸として設計され、大正13年(1924年)に竣工された、阪神間モダニズム文化の結晶と言っても過言ではない名建築だ。
フランク・ロイド・ライト氏の作品はライト建築と呼ばれ、国内外に根強いファンがいる。建築ファンならご存じの方も多いだろう。
他にもライト建築は現存している。しかし、ここヨドコウ迎賓館は、建築当初の姿を今もとどめ、移築もされていない。自然との調和を目指したライト建築にとって、これはかなり重要ポイントなのだ。
かく言う私も、実はライト建築ファンの1人である。動悸が止まらないのは急勾配の坂道のせいだけではない。

ヨドコウ迎賓館の入口ゲートは、無機質で博物館のようだ。夫と私はゲートをくぐり、玄関を探した。
「玄関が随分遠いねぇ」
「ほんまやな」
玄関は広い土地の1番奥にあった。来訪者は皆すべて、建物の外観を見ながら玄関に辿りくわけだ。
奥に続く長い小道を歩く。まるで宝探しのような気分だ。
期待に胸を膨らませた私の目に、幾何学的な美しいデザインの玄関が飛び込んできた。
ライト建築によく使用される大谷石が凸凹に加工されている。柔らかな陽の光に照らされて影を落とし、大谷石の質感がより際立っていた。
石材なのに人肌のようなぬくもりを感じる、不思議な質感だ。


建物の中はどの部屋も印象的だ。柱の大谷石や壁面の飾り棚のある応接室、飾り銅板の窓が連なった、明るく長い廊下…
その先には、この建物の外観からは想像できないが、和室があった。
欄間にも同じデザインの飾り銅板があしらわていた。かなり個性的だ。
そして、最後に辿り着いた食堂の高い天井を見上げた時、私はあまりの美しさに呼吸を忘れた。
食堂の天井はピラミッドを下から眺めたような構造になっていて、暖炉を中心に木製の装飾で彩られている。
「わぁ、すごく綺麗な天井…なんだかキリスト教の教会みたいだね」
「めっちゃオシャレやな」
オシャレを通り越して、なんだかおごそかな雰囲気だ。もしかしたらフランク・ロイド・ライト氏は、食事を単なる栄養摂取ではなく、儀式のように考えていたのかもしれない。

教会のような食堂を抜け、私たちは最後の見学ポイントであるバルコニーに出た。
高台に建つヨドコウ迎賓館の中で1番見晴らしの良いその場所は、遠くでちらちらと煌めく大阪湾まで見渡せる。
「こんなところで避暑なんかしたら、帰りたくなくなりそう」
バルコニーで伸びをしながら、私はフランク・ロイド・ライト氏がデザインしたモダンライフを想像してみる。
頬をなでる風が部屋の中でも感じられる大きな窓、石と木の質感、幾何学的な装飾から降り注ぐ陽の光、そして教会のような食堂。
フランク・ロイド・ライト氏は、きっとこの中で感じられる心地よさも計算していたに違いない。

・
・
・
近代建築の三大巨匠の1人とも呼ばれるフランク・ロイド・ライト氏。彼が手掛けた建築で、建設が実現したものは400軒ほどです。
そして、そのうちの4軒が日本に現存しています。
たったそれだけ?と思う方もいるかもしれません。しかし、ライト建築がアメリカ以外で現存するのは日本のみ。
旧帝国ホテル中央玄関、林愛作邸、自由学園明日館、そし今回私が訪れたヨドコウ迎賓館の4軒は、建築ファンなら必ず訪れたい貴重な場所です。
4軒に共通するのは、石材や木材を組み合わせた幾何学的な装飾。そして、独自の美しさです。
フランク・ロイド・ライト氏が生涯を通して追求したのは、自然環境との調和。
そして、新しい時代、新しい社会に適した合理性でした。
ライト建築に共通しているのは、機能性と美しさ、どちらも損なわない素晴らしいデザインです。
居心地よく過ごしやすい空間を作り出すことにより、住む人の生活を豊かにする。フランク・ロイド・ライト氏が追及したそんな合理性は、住む人を幸せにする事が念頭に置かれていると言っても良いでしょう。
自身の不倫スキャンダルや家族を襲った悲劇などにより、計り知れない精神的ダメージを負って日本にやって来たフランク・ロイド・ライト氏。
彼が設計した建造物で深呼吸して目を閉じれば、心が安らぐのと同時に、人の痛みを知る優しい人だったのではないか、とつい想像してしまいます。

フランク・ロイド・ライト氏は建築だけでなく、電灯や家具なども空間に合わせてデザインしていました。
つまり、住む人の生活をもデザインしていたということです。
それは、ヨドコウ迎賓館が建つ神戸近郊で、電車事業と都市計画を同時に進め、神戸近郊のライフスタイルをデザインした小林一三翁と同じ試みだったとも言えるでしょう。
西洋風の生活様式そのものが新しい文化とみなされた大正時代、フランク・ロイド・ライト氏と小林一三翁は、住環境という視点で人々の生活に革新をもたらしたのです。
神戸近郊は港に近い立地から、いち早く新しい文化が到来する玄関口でした。しかし、到来しただけでは、阪神間モダニズム文化は誕生しなかったでしょう。
旧来からの文化と西洋のモダニズムが融合した建築、芸術、生活様式は、阪神電鉄と阪急電鉄の沿線開発による賑わい創造、自然環境の豊かさ、ハイセンスな郊外住宅地などがあってこそ融合できました。
彼ら2人の尽力無くしては、このような文化は誕生し得なかったのではないでしょうか。
フランク・ロイド・ライト氏が来日する契機となったのは旧帝国ホテルの設計依頼でした。
大幅な工期遅延と予算オーバーにより、当人は日本でその日を迎える事はかないませんでしたが、大正12年(1923年)9月1日、新築披露のその日に、関東一円を関東大震災が襲いました。
周辺が甚大な被害を被る中、旧帝国ホテルはわずかな損傷のみだったのは有名な話です。
現在では18年の歳月をかけて移築され、愛知県犬山市の博物館明治村で一般公開されています。
そこにいるだけで心地よく、人を幸せにする名建築は、様々な人、施設、企業の尽力により、今もその物語を紡いでいるのです。
・
・
・
私の阪神間モダニズム文化をめぐる小さな旅は、これにて閉幕となります。
私の大正浪漫をめぐる物語の続きは、愛知編へと続きます。
時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、毎週日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。
宮寺理美

コメント