【大正浪漫譚】食卓の大正ロマン ー 浅草オペラとコロッケー

大正浪漫譚


久しぶりの浅草は相変わらず人の海で、365日いつでも縁日のようだ。
人力車の車夫たちはおひとり様の私にも元気に声を掛けてくるが、
その爽やかな笑顔をすり抜け、私は浅草文化観光センターへ向かった。
今日のお目当ては、東京メトロ24時間券。
東京メトロ24時間券は、時々限定デザインのカードを発売する。
今回のテーマは「大正ロマン」。ステンドグラス風のデザインだ。これは買うしかない。


無事に用事を済ませた私は、久しぶりに浅草を散策してみることにした。
ぶらぶらと向かったのは、かつて娯楽の中心地として賑わった浅草六区通り。
外国人観光客、レンタル着物の若い女性、デート中のカップル…浅草六区も賑やかだ。
浅草六区の由来は、実は明治17年(1884年)の区画整備なのだそうだ。
大正時代の浅草六区には、活動写真館などの娯楽施設が立ち並んでいたそうだ。
その大衆的な娯楽は、若手お笑い芸人のコントや落語、大衆演劇、
そして妖しい雰囲気のストリップ劇場に受け継がれている。
観光地として変わり続けているように見えても、核の部分では時が積み重なっているのだ。
「よっ、粋な着物だね」なんて話しかけてきて、
そんな昔話を聞かせてくれた地元のおっちゃんは、最近はあまり見かけなくなった。
今頃はインバウンドの人波を避けて、どこか下町の路地裏で盃を交わしているのかもしれない。

歩きながら周りを見ていると、立ち食いの観光客が目立つ。
最近の浅草の流行りはメンチカツのようだが、私はコロッケの方が断然好きだ。
いつもなら座って食べられる店を探すが、たまにはいつもと違う事をするのもいいだろう。
歩みを止め、浅草六区を眺めながら、立ち食いの店で買った大きなコロッケにかぶりついた。
ーー誰も信じないと思うけれど、このコロッケのひとくちには、大正ロマンが詰まっているのだ。
口いっぱいに広がるじゃがいもの味。
そして、シャリシャリと香ばしいパン粉の奥から、ふと、ある歌が脳裏に蘇った。
それは100年前の浅草を熱狂させた、陽気な「浅草オペラ」のメロディだ。





〽ワイフ貰って 嬉しかったが
いつも出てくるお菜はコロッケ
今日もコロッケ 明日もコロッケ
これじゃ年がら年中コロッケ
ワハハハ ワハハハ こりゃおかし
ラララララ ララララ ランランラン

『コロッケの唄』作曲者:不明 作詞:益田太郎冠者
出典:清島利典『日本ミュージカル事始めー佐々紅華と浅草オペレッター』刊行社 1982年5月 


「コロッケーの唄」は、大正時代に圧倒的人気を誇った浅草オペラを代表するヒット曲です。
今こんな唄を歌ったら「文句があるなら自分で作れば?」と炎上しそうですよね。
でも、時代背景を紐解いてみると、見え方が少し変わるかもしれません。

大正生まれの私の祖母の得意料理はコロッケでした。
いつかコロッケ作りを手伝った時、祖母はこんなことを言っていました。
「昔は女学校でコロッケの作り方を習ったのよ」
祖母の言う「昔」がどのくらい前の事なのかは定かではありません。
でももし、この「ワイフ」が女学校出身者だったら…
女学校で習った知識を活用して、毎日一生懸命コロッケを作っていたのかもしれません。
こんな風におどけながらも、内心「オレのワイフは女学校出身なんだぜ」なんて自慢も混ざっていたのかもしれません。
そう思うと、なんだかちょっと微笑ましく感じませんか?

「コロッケーの唄」は、浅草オペラの仕掛人、佐々紅華氏が編曲を担当し、人気演目『カフェーの夜』の劇中歌として流行しました。
元となった楽曲は、大正5年(1917年)5月に帝国劇場で公演されたオペレッタ『ドッチャダンネ』の劇中歌。
当時、帝国劇場で公演された格式高いオペラは、当時の大衆にとっては難解でした。
そんなオペラを分かりやすく、そして愉快にアレンジした浅草オペラは、大正14年に放送開始したラジオにも匹敵するほどの影響力を持ちました。

『カフェーの夜』には、入れ歯をしているカフェーの利用客が、女給さんに「柔らかく、かつ安いメニュー」を尋ねる一幕があります。

お光「アゝ左様でございますか、そんではコロッケーでも持ってまいりましょうか」
作 「ヘエッ?コロッケー」

~略~

作 「それじゃそれを一人前下さい…だがそれはいったい幾らしますかナ。」
お光「エゝ一皿ニ拾五銭でございます」
作 「エゝたった一皿きりでニ拾五銭、ずいぶんいい値ですネエ…どうでしょう、もう少し安い品をみせて貰えましょうか。」

~略~

作 「イヤ、それなら食べられるでしょう、ときにそれは一皿幾らで。」
お光「トンカツなら拾三銭でございますが。」
作 「フムウ拾三銭…姐さんもっと思いきり安いものはありませんか。」

出典:清島利典『日本ミュージカル事始めー佐々紅華と浅草オペレッター』刊行社 1982年5月 


当時のコロッケは「庶民の味」どころか、トンカツやステーキよりも高かったんです。
そんな贅沢なごちろうであるコロッケが大衆にもヒットした理由は、この流行歌の誕生だったのではないかとも言われています。
しかし、当時はまだラジオ放送も始まっておらず、その軌跡は謎に包まれたままです。

そして、大正14年。
関東大震災が発生。大正時代の人々を熱狂させた浅草オペラにも震災が襲いかかります。
衣装、台本、小道具、そして舞台ーーあらゆるものが失われ、浅草オペラはその人気を立て直すことができなかった。
多くの資料にはそう記されています。

しかし、浅草オペラの精神は、確かに生き残りました。
昭和の喜劇王と呼ばれた榎本健一氏、ベーちゃんの愛称で人々に愛された二村定一氏はじめ、多くの舞台人・芸能人へ。
そしてその精神は、ひっそりと私たちの食卓にも届きました。
今では見ることも聴くこともできない浅草オペラ。
けれど、その名残は、「コロッケ」というちょっと意外な形で、私たちの生活に息づいているのです。




* * *


時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、毎週日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。

宮寺理美



<出典・参考>
清島利典『日本ミュージカル事始めー佐々紅華と浅草オペレッター』 刊行社 1982年5月

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