窓の外で赤く染まった葉が風にひらひらと舞っている。そろそろ冬の気配が濃くなってきた。
冬支度を急ぐ私は、今日は手持ちのショールを陰干しすることにした。
衣装ケースの蓋を開けると、冬の装いと約一年ぶりの再会。
毎年、この瞬間だけは小さな同窓会のような気がして、胸がふわりと温かくなる。

しまいこんでいた冬物を広げて、一つひとつ点検する。
まずは祖母の遺品である狐の襟巻。湿気が大敵なので、乾燥材と一緒に大切に保管している。
顔のついた狐の襟巻は今ではほとんど見かけないけれど、ぬいぐるみのように丸い目が愛らしくて、私はとても気に入っている。
ただ、人前に出すと時々「ちょっとこわい」と言われてしまうのだが…
続いて、お気に入りのショールを取り出す。
黒のベルベットにモダンな刺繍が入った昭和期のものと、深い紫色の繊細な“切りばめ”。
こちらはさらに年代が上がり、生地に触れるだけで“古き良き時代”の空気がすっと立ちのぼる。
アンティークの布類は湿気に弱く、使う前には必ず陰干しが必要だ。
毎年の習慣として、丁寧にハンガーにかけて冬の準備を整えていく。
─その時だった。
「ピリッ」
嫌な音がして、私はその場に膝をついた。
やってしまった。ついにやってしまった。
ほんの少しハンガーの隅にひっかけただけなのに、ショールに三センチほどの裂け目ができてしまった。
形あるものは、いずれ寿命を迎える。
わかってはいるけれど、胸がぎゅっと締めつけられる。
けれど思うのだ。
このショールも長い年月のあいだ、誰かの肩を暖め、装いを美しく彩ってきたに違いない、と。
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女性たちの纏うショールは、大正時代当時「最新の和洋折衷アイテム」でした。
パラソルや手提げバッグ、ショールなどの西洋の装飾品は、明治後期には若い女性の憧れの象徴として登場しましたが、
一般の女性にはまだまだ手が届かない贅沢品。
それが大正時代に入ると、ようやく市井の女性たちへ広がっていきます。
その背景には、実は海外情勢が大きく関わっています。
第一次世界大戦中、日本は軍需品の輸出で好景気を迎えました。
しかし、終戦後はヨーロッパ各国の復興により輸出量が減少。
輸出用に生産されていた仏蘭西縮緬やメリヤスなどの織物が、行き場を失って国内へと回されます。
それらの生地が女性用ショールに転用され、華やかな和洋折衷のデザインが大流行しました。
昭和初期にはさらに豪華さを増し、街を彩る冬のファッションとして定着していきました。
大正時代に洋装へ踏み切った女性は意外にも少なかったことは、
【大正浪漫譚】大正乙女が恋した日傘 でもご紹介しました。
断髪洋装のモダンガールは時代の象徴である反面、断髪や洋服に対して奇異の目を向けられることも多かった大正時代。
断髪や洋装は、生き方そのものの選択に近かったのです。
ショールや日傘のような装飾品は、日常の着物にも取り入れやすく、
多くの女性が気軽に新しいおしゃれを楽しむきっかけとなりました。
銀座を歩く女性たちの写真には、和服の上に大判のショールを羽織る姿が。

当時の新聞の百貨店広告には、男性のネクタイと並んで女性用ショールが華々しく並んでいました。
流行の生地を使った華やかなショールは、百貨店の冬の人気商品でもあったようです。
実際に着物の上からショールを羽織ってみると、暖かいだけでなく、肩や腕のラインがほっそり見えるように思えます。
当時の女性たちが魅せられた理由が、ほんの少しわかる気がしますね。

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時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、毎週日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。
宮寺理美

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