【大正浪漫譚】大正の旅情、車窓に映る新時代の時間

大正浪漫譚


名古屋駅の新幹線ホームから見える空には、もう月が登っていた。
私は夜の移動が結構好きだ。変わって行く空の色や、暗闇の中を流れていく流れ星のような民家の光を眺めるのも好きだし、徐々に近づいてくる東京のビル群は、暗闇の中だとなんだかサイバーパンクの世界のようだ。
私が愛好するアンティーク着物を着ていると、窓に映る自分の姿すら、なんだかタイムトラベルのようで余計にわくわくするのだ。

幸運なことに天気に恵まれ、今回の1人旅も全日程をアンティーク着物で過ごした私は、帰りの新幹線を待つ今も着物姿のままだ。
ホームのベンチに座りながら、私は名古屋近辺の近代建築や明治村で過ごした時間を思い返す。
色鮮やかなステンドグラスの光が、まだちらちらと瞼の裏に残っているような気がした。
私の荷物は新幹線の座席でも膝の前に収まるサイズのスーツケース、そして紙袋だ。
大須商店街で小さな店を営む友人から、「帰りに新幹線の中で食べて」と貰ったういろうと、大須観音の骨董市で出会った大正時代のアサヒグラフが入っている。
現代の新聞と違い、大正時代の新聞紙は劣化も相まって破れやすい。折りたたむこともできず、保護のために厚紙を入れ、店の人が丁寧に包装してくれている。正直に言えば大変邪魔である。
しかし、その邪魔さすらも今はいとおしい。
体は疲れているはずだが、楽しみな気持ちが勝って背中に羽根が生えているようだ。


友人から貰ったういろうは、小さいけれどもずっしりと重い。
興味本位で調べてみたら、ういろうと呼ばれる食べ物の歴史はかなり古いが、お菓子として販売されるようになったのはどうやら明治時代以降のようだ。
鉄道の開通も明治時代だ。鉄道旅をした明治の人々も、こんな風に現地のお菓子を食べながら移動していたのかもしれない。
明治時代の文豪、夏目漱石も電車旅を描いている。
小説『三四郎』では、熊本から上京して大学生になる主人公が、たまたま列車で乗りあわせたミステリアスな女性と、ここ名古屋の旅館に同宿するところから物語が始まる。
『三四郎』は明治時代のキャンパスライフや淡い恋を描いた明治版青春小説だ。明治時代の人々にとって、こうした大移動は新生活の始まりを彩るロマンに相応しい非日常だったのかもしれない。

時代が下り大正時代になると、新聞や雑誌には旅行や屋外レジャーの記事が溢れている。
東海道線や横須賀線、江ノ島電気鉄道の開通で、日帰り小旅行もできるようになり、
家族旅行だけでなく、女学生たちの修学旅行、海水浴や登山、スキー、スケートなどを楽しむ人も増えた。
非日常のロマンから週末の楽しみへ。列車に乗っての移動も、大正時代のモダンライフを彩っていたのだ。

そうこうしているうちに、私を乗せる新幹線がやってきた。
さぁ帰ろう、私の街、そして大正ロマンの街、東京へ。





九時半に着くべき気車が四十分程後れたのだから、もう十時は過ってゐる。
けれども暑い時分だから町はまだ宵の口の様に賑やかだ。宿屋も眼の前に二三軒ある。
ただ三四郎にはちと立派過ぎる様に思はれた。そこで電気燈の點いてゐる三階作りの前を澄して通り越して、ぶらぶら歩行いて行った。
無論不案内の土地だから何處へ出るか分らない。只暗い方へ行った。女は何とも云ずに尾いて来る。

-夏目漱石『三四郎』


夏目漱石の青春キャンパスストーリー、『三四郎』は旅情あふれるこんなシーンで始まります。
「九時半に着くべき気車が四十分程後れた」
この表現には、当時の時間感覚を読み解くヒントが隠れています。

明治時代初期頃まで、日本人は昼夜を6等分した不定時法で生活していました。時間の最小単位は小半刻、約30分です。
現代人である私には考えられない事ですが、きっと今よりものんびりとした時間が流れていたのでしょう。
それが大きく変わったのは太陽暦の導入以降のことです。
このような改革はまだまだ市井の人々には浸透しませんでした。しかし、運転間隔を管理する必要のある鉄道には、いち早く分単位での時間管理が採用されました。
小説『三四郎』で「九時半に着くべき気車が四十分程後れた」と描写されたのも、現代では当たり前の事ですが、実は最新の出来事だったのでしょう。
明治6年(1873年)に開通した列車は、時代が経つにつれてどんどん乗車時間が短縮されていきます。
この間、東京から川崎大師や成田山への初詣がブームになったり、各地で海水浴場が開設されたりしています。
江戸時代には各地に関所があり、移動の自由が比較的低かったことを思うと、これはかなり急速な変化と言えますね。



明治から大正、昭和、そして令和へ。
旅の形は変わっても、見知らぬ景色に胸をときめかせる気持ちは、きっと昔も今も同じでしょう。
新幹線の窓に映る自分の姿を見る時、私はいつも、遠いようで近い時代に思いを馳せます。
その時、大正時代を旅した誰かの記憶と私自身の記憶が、少しだけ重なって見えるような気がするのです。



時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、毎週日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。

宮寺理美

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