【大正浪漫譚・神戸編】港町が開く異国への扉

大正浪漫譚


その喫茶店の重いドアを開いた時、私は思わず小さな感嘆のため息を漏らした。
蔦の絡まる赤煉瓦の喫茶店は、物語の始まりを予感させる美しさだった。
しかし、その美しさとは対照的に、私の身体はぐったり疲れ息は上がっていたー その理由は10分ほど前に遡る。

「お、時間通り着いたな。やるやん」
「やっと着いたよ…同じ名前の駅、一体何個あるんだよここ。初見殺し過ぎるわ」
色々な路線が入り乱れる三ノ宮駅での待ち合わせは、土地勘ゼロの私にはなかなか難しいクエストだった。似たような名前の駅が複数あり、目的地を見つけるのがまず難しい。
「ま、でも、これから休憩やん」
「確かに!ちょうどいいね」
そう、ここ三ノ宮には、私が今回の旅でどうしても行きたい喫茶店があるのだ。
夫が「あっちやな」と言って向かった先で私を待っていたのは、緩い勾配がずっと続く地味に辛い坂道だった。

「つ、疲れた…」
「あと少しやで」
夫は輸入の仕事をしており、港町とも縁が深い。そのせいか、私とは違いこのような土地には慣れっこのようだ。
神戸は少し横浜に似ている。花壇が多く、街がお洒落だ。
しかし、横浜は山がこんなに近くない気がする。坂道は少々きついが、そよそよと風が心地よい。
その喫茶店に到着する頃には、私は少々汗ばんでいた。
着物を着ていたせいもあるが、この旅にアンティーク着物を着ないという選択肢は私には無かったのだ。仕方ない。

蔦の絡まるこの赤煉瓦の喫茶店は、にしむら珈琲の北野坂店だ。
にしむら珈琲は、神戸のご当地チェーン店として地元の人々に愛される喫茶店だが、ここ北野坂店は他の店舗とは趣が少々異なる。
創業者の川瀬喜代子氏が戦時を過ごした上海の英国洋館がモデルなのだそうだ。
明治時代後期から大正時代、日本人が洋行する際には必ず上海や香港を経由した。上海は日本人が最初に触れる西洋だったのだ。
ドアを開けると、まず美しい階段が目に飛び込んできた。思わずうっとりしてしまう。
クラシカルなドレスの女性が今にも降りてきそうだ。
上海に降り立った当時の日本人達も、こんな風に上海の街やモダンな女性たちに見惚れたのだろうか。

係員の女性に席に案内され、私はコーヒーと苺のタルト、夫はチョコレートのケーキを注文する。朝の糖分補給だ。
飴色の木目が美しい店内は実際にはそこまで古くない。しかし、まるで時の洗礼を受けたかのようだ。
神戸は震災などの苦難も多かった土地だ。乗り越えた苦難がこの街や人の雰囲気に影響しているのかもしれない。
まもなくテーブルにコーヒーとケーキ、そしてぴかぴかの金色の器に入った飴色のザラメ糖とコーヒーミルクが到着した。
「異人館ってもっと坂道登ったよね?やばいなぁ…」
「ま、大丈夫やろ」
レトロモダンな店内を見回す。中央に鎮座するマントルピースが特にモダンだ。
コーヒーを一口飲みながら、当時の文士たちの書いた上海紀行文が思い浮かんだ。
西洋文化の玄関口でありショーウィンドウでもあった上海は、きっと多くの日本人にとって物語の始まりだったはずだ。






『痴人の愛』などの問題作で有名な谷崎潤一郎は、大正7年(1918年)と大正15年(1925年)の合計2回、上海を訪れました。
紀行文『上海交遊記』には、中国の若き映画監督に「支那には独特の風俗習慣伝説があるのに、なぜそれを題材にしないのか」と尋ね、「ビジネスだから仕方ない」と苦笑された様子が描かれています。
彼はこう続けます。
「但し女優はハイカラな役に扮する場合でも洋装ではなく皆支那服を着てゐるのが大へん美しい。」
美しいものに偏った愛を注ぐ谷崎潤一郎が、中国の文化風習や上海のモダンガール達に魅了されていたことが感じられますね。
神戸は日本と西洋、そして中国が交錯する特殊な場所でもあります。
美に敏感な谷崎潤一郎は、『上海交遊記』で上海に一戸を構えてみたいと語りましたが、神戸に居を構え、『細雪』の執筆に励みました。
(※第二次世界大戦前の中国の呼び名は支那でしたが、日中関係が悪化する中「支那」の呼称が侮蔑的だと中国側から抗議があり、徐々に使用されなくなっていきました。)

神戸には異人館に南京町と、海外文化の受け皿として発達した名残を感じられる場所が多々あります。
そして、更に異彩を放つ場所が、神戸市と明石市の境目に位置する舞子浜公園に佇んでいます。
日本と中国、そして西洋を繋ぐ象徴的な建造物、孫文記念館です。
中国で国父と慕われる孫文は、ご存じの通り近代中国での革命で先陣を切った偉人です。
移情閣という別名でも呼ばれ、エメラルドグリーンの八角塔の背後には青い海と空、そして明石海峡大橋を臨む特徴的な場所です。
この景色を見ると、まるで歴史の分岐点を見ているかのような気持ちになるのは私だけでしょうか。



ここ移情閣は、大正2年(1913年)に孫文一行が神戸を訪れた際に歓迎会が開かれた場所に、
孫文来訪にちなんで建てられた迎賓館でした。
日本で10軒ほどしか現存しない金唐革紙の壁紙や、現存する日本最古の鉄筋コンクリート造の建造物としても貴重ですが、
何よりも奇跡的なのは、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災の際、解体中だったため難を逃れた事です。
美しく復元された金唐革紙の壁紙を目にすると、当時の革命家や神戸に生きた人々の息遣いがまだ残っているかのようです。
孫文の記念館は世界中にありますが、ここ移情閣は設立や運営にも日本人が関わっています。
世界でも珍しい事例でしょう。



神戸は日本と中国、西洋が交錯する象徴的な場所です。
神戸は単なるお洒落タウンではなく、アジアと西洋の文化をつなぐ扉。そして、たくさんの人々の物語が始まった場所です。
さぁ、今回は一緒に神戸の大正浪漫譚を探しに行きましょう。





大正浪漫譚は、時を超えて紡がれる物語を毎週日曜の夜にお届けします。
また来週お会いしましょう。

宮寺理美



<出典>
上海交遊記 谷崎潤一郎 千葉俊二編 (2004)
魔都上海 劉健輝 (2000)
孫文と神戸を歩こう 移情閣(孫文記念館)友の会編 (2023)



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