【大正浪漫譚】猫と私と大正時代のをんな

大正浪漫譚


膝に丸まる温かで艶のある毛の塊が、すーすーと寝息を立てている。
こちらにおしりを向けて眠っている猫の顔は見えないが、かなりぐっすり眠っているようだ。
もしかしたら、人間の膝をベッドだと思っているのかもしれない。
最近の私のお気に入りは保護猫カフェだ。
この店では主に離島の猫たちの保護活動をしていて、里親として猫を引き取ることもできる。
猫カフェの猫は毎日たくさんの人間に接するので、塩対応の猫も少なくない。
しかし、この店の猫たちは大変愛想がよく、気が向けばこうして膝で丸まって眠ってくれることもある。
現在の住宅事情で猫を飼うことができない私には大変ありがたい。

「お、めっちゃ寝てるな」
「これはしばらく動けそうにないね」
そういいながら私は嬉しくてたまらない。
足が痺れるが、それは幸せの痺れだ。
猫を飼いたいと言いつつ、私たち夫婦はまだ引っ越しの目途が立っていない。
いつか猫と一緒に暮らすまで、こんな生活はお預けだ。
「ああ、早く引っ越したいなあ」
「ま、焦ってもいいことあらへんからの」
それに、今の家は和室だ。
畳の部屋で生活するのはとても好きだが、猫を飼うには向かないような気もする。

「あれ?ぽんちゃんどこに行ったの?」
さっきまで視界にいた三毛猫のぽんちゃんがいなくなっている。
ぽんちゃんは個性的な柄と奔放な性格が魅力的な、私の「推し猫」だ。
先日めでたく里親が決まり、今日は最後の挨拶の日だった。
「ほんまや、ぽん、どこや」
夫がそう言ったその瞬間。

にゃー!

天井から鳴き声がした。
夫と私は同時に同じ方向を見る。
そこには、「吾輩はただ高い場所が好きなだけなのだ」とでも言いたげな顔をしたぽんちゃんが、
キャットウォークの上から私たちを見下ろしていた。


「すごい、ぽんちゃん人間の言葉分かってるね」
「ほんまやな、めっちゃ主張してきよる」
なんて夫と笑いながら、私は夏目漱石のあの名作を思い出していた。


***

吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。

日本で1番有名なこの一文で始まるのは、言わずと知れた夏目漱石の代表作、『吾輩は猫である』。
モデルになったのは夏目漱石の家に迷い込んできた猫だと言われています。
猫の視点で始まるこの小説は、滑稽な人間たちを猫の視点を貸りてユーモラスに風刺する、当時の大ヒット小説。
『吾輩は猫である』は、その後もずっと愛され続け、大正時代もヒットし続けていました。
猫は人間の言葉を理解しているのかもしれない。
そんな風に感じていたのは、現代の猫好きだけでなく、
当時の人々や夏目漱石も同じだったのかもしれませんね。


猫は江戸時代頃まで、ネズミ対策の動物として活躍し、人間たちとは「利害の一致」で共生してきました。
江戸時代も浮世絵師も猫を愛したことが知られていますが、
大正時代頃になると、猫は文学や絵画にも登場するようになります。
都市部では西洋の生活スタイルを取り入れる家庭も徐々に出現してきたこの時代、
生活の中での「余白」が愛され始めました。
そんな大正時代、猫は徐々に「愛玩動物」側面を強くしていったのではないかと思うのです。

当時、モダンな最新の生活をしていたのは主に文化人たち。
猫に魅了された文化人たちは、絵画だけでなく、文学などにも猫を登場させています。

猫を描いた画家として1番最初に思い浮かぶのは竹久夢二。
代表作の『黒船屋』では、夢二は自分自身を投影して、
異様に大きな黒猫を描いたのではないかとも言われていますね。
猫に偏った愛を注いだ大佛次郎。
生涯で彼が保護した猫はなんと500匹を超えるとも言われます。
時代が昭和に移っても、そのまなざしは続いていきます。
文豪、谷崎潤一郎は、人間の女性と猫を重ねて見ていたそうです。
昭和11年(1936年)には、猫を中心に展開される人間の三角関係の物語、
『猫と庄吉と二人のをんな』が雑誌『改造』に掲載されています。
こうして、猫は徐々に文化的な文脈を持つ動物となっていきます。

しかし、その一方で、猫は「女性の性消費」の記号でもありました。
大正14年(1924年)の関東大震災後から都市部で爆増したカフヱー。
カフヱーのマッチラベルには、よく猫がデザインされています。
ハイヒールのように曲線的デフォルメされ、目を強調したデザインの猫は、
煌びやかに着飾り、夜の世界を生き抜いた女性たちの象徴でもあったのです。
いち早く洋装を取り入れ、最新のファッションに身を包むモガを「黒猫」と呼ぶこともあったのだとか。
猫と近代女性は、確かに切っても切れない関係があります。



人間に飼われていても、飼い慣らされはしない猫。
煌びやかに着飾り、時代を生き抜いた女給。
良妻賢母を求める社会で、洋装という鎧で戦ったモダンガール。
そんな猫たちに翻弄され魅了される文化人たち。
なんだか人の言葉を理解しているような気がする猫の瞳を見ていると、
そんな当時の人々も、そして私も、猫の魅力に抗うことはできないのだと、しみじみ思うのです。

***

時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、毎週日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。

宮寺理美

<参考>
夏目漱石『吾輩は猫である』 春陽堂 1907年
山室信一『モダン語の世界へ 流行語で探る近現代』 岩波新書 2021年

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