「全部おいしい…幸せすぎる…」
「ワインもめっちゃ美味い。これ1本買って帰ってもええか?」
クリスマスは私たち夫婦の記念日だ。毎年この時期には、贅沢な食事を楽しむ日を設けている。
私が今年選んだこの場所、旧小笠原伯爵邸が建てられたのは昭和初期。
その名の通り、小笠原長幹伯爵の邸宅だったレストランだ。
私たちが座るこの空間は、元々はサンルームだったそうだ。
燦燦と降り注ぐ陽の光が、グラスに注がれたワインがルビーのように輝いている。
東京に歴史ある洋館は数あれど、旧小笠原伯爵邸のようなパステルカラーが映える洋館は珍しい。
しかし、レストランとして活用される前は、取り壊しの危機もあったのだそうだ。
活用されて本当によかった。おかげで私は今、この空間を堪能できている。
個人の幸せの形を反映させた住宅が流行した大正時代からさらに時代は下り、昭和初期にはこのようなスパニッシュ様式の邸宅が富裕層に流行した。
私は今、大正ロマンの続きを生きている。そう思うと胸がじんとする。
クリスマス限定のコース料理を堪能し、舌の上でとろけたデザートの味をコーヒーで口直ししていると、仕立ての良いスーツを着たウエイターが、食事後の館内見学を勧めてくれた。
「うわぁ、この部屋やっぱり可愛いなぁ」
「天井まで凝ってるなぁ」
煌びやかなデザインが鮮やかなブルーに彩られるこの空間は、旧小笠原伯爵邸のシンボルでもある。以前は喫煙室だったそうだ。
壁面や天井には贅沢な装飾が施されていた。見上げているだけで溜め息が漏れる美しさだ。


隣の部屋にはクリスマスのデコレーション。そして廊下から屋上へと続くロマンチックなバルコニーを眺めてみると、そこにはレトロな雰囲気のクリスマスツリーが飾られていた。
「わ、ツリーだ!可愛い」
「おお。やっぱでかいツリーはええな」
バルコニーに出ても大丈夫だそうで、女性スタッフが親切に扉を開けてくれた。
私より大きな夫がさらに見上げるサイズのクリスマスツリーには、邸宅のレトロな雰囲気と調和するクラシカルな装飾と、控えめな電飾が輝いていた。


クリスマスを民間に広めたのは、実は大正時代の百貨店だ。
大きな子供のようにクリスマスツリーを夢中で眺める夫。
その背中を眺めながら、同じようにクリスマスツリーを夢中で見つめている子供たちが掲載された、大正時代の新聞紙面を思い出した。
クリスマスの飾りを初めて見た大正時代の人々は、どんな気持ちだっただろう。
きっと、今の私と同じように、きらきらと輝くハイカラなクリスマスに胸が高鳴らせていたに違いない。
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大正14年(1925年)のアサヒグラフには、クリスマスに心を弾ませる人々の様子が掲載されていました。
人々を熱狂させたクリスマスを民間に広めたのは、実は大正時代の百貨店です。
明治37年(1905年)のデパートメントストア宣言でいち早く近代的な百貨店に舵を切った三越に続き、銀座では続々と呉服店が百貨店に生まれ変わりました。
そんな百貨店たちは、新しい時代の波に乗るため、クリスマス商戦を繰り広げたのです。
百貨店のクリスマスはとても華やか。子供たちはクリスマス飾りやおもちゃに夢中です。
クリスマスの華やかな装飾をいち早く始めたのは銀座の明治屋だと伝えられています。なんとイルミネーションも始まっていたのですから驚きです。
クリスマスグッズが並ぶ売り場の写真には、古風な日本髪に着物姿の女性の姿もあります。もしかしたら芸者さんかもしれません。
女性が手に取っているのはサンタクロースの人形。大正時代のクリスマスプレゼントの定番だったようです。
そして、所狭しと並ぶ商品をよく見てみると、なんと招き猫が。
日本文化とクリスマスのミックスは、まさに和洋折衷な大正ロマンそのものです。


同じ頃、築地小劇場ではクリスマス劇「青い鳥」が上演されていました。
貧しい家庭の子供たちがクリスマス・イヴの夢で老婆の姿をした妖精に頼まれ、幸福の青い鳥を探しに行く物語は、令和の日本では知らない人はいないほど有名ですが、きっと当時の子供たちにはとても新鮮だったでしょう。
幸福を探す子供たちの物語は、新しい時代の風に吹かれて生活様式も変化し、幸福の形も変わり続ける時代に、人々の胸に暖かい灯をともしていたのかもしれません。

大正時代に子供たちが、そして人々が見上げたであろうクリスマスツリーの光。
それは、新しい時代に新しい幸福の形を模索する人々にとって、新しい幸せの象徴であったことでしょう。
彼らが見つめた幸せの灯は、今もどこかで静かに瞬いているに違いありません。
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時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、毎週日曜の夜にお届けしています。
また来週お会いしましょう。
宮寺理美

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