【大正浪漫譚】大正乙女が恋した日傘

大正浪漫譚


「蔵前なんて久しぶりに来たなぁ、なんかキレイになったね」
「確かに、昔こんなんじゃなかった気するな」
5月の明るい日差しが降り注ぐ路面に、日傘の影が揺れる。
陽の光と青い空に、日傘の縁取りのレースが映えて、見上げるだけでうきうきと幸せな気持ちになる。
白い布製の日傘では、年々強くなっている真夏の日差しは到底防げない。それでも、私は白いレースの日傘が大好きだ。
この日傘は結婚したばかりの頃に夫が贈ってくれた近沢レース店のものだ。
創業はなんと明治34年(1901年)。その歴史は絹の輸出から始まり、今では地元マダムに愛されるレースの専門店だ。
明治時代の横浜は外国人居留地もあり、来賓も移住者も多く、舶来品の玄関口でもあったのだ。
しかし、お気に入りの日傘には、最近小さな穴が空いてしまった。圧がかかる部分から徐々に裂け目が大きくなってきている。
それでも、私はこの大好きな白い日傘を手放せないでいる。


「場所どこなん?」
「こっち、10分くらい歩くかな」
私が子供の頃、ここ蔵前は行ってはいけない場所の1つだった。
しかし、今私の目の前に広がる景色にはそんな雰囲気は全く無い。しばらく歩くと、紺地に白くトンボのロゴが染め抜かれた前原光榮商店の幟がはためいていた。
前原光榮商店は昭和23年(1948年)創業の老舗店であり、皇室御用達店としても有名だ。つまりお値段も・・・である。
少し緊張しながら重いドアを開けると、艶のある美しい雨傘がズラリと並んでいる。
「何かお探しですか」
少し見て回っていると、仕立ての良いスーツに身を包んだ女性店員が店内を案内してくれた。日傘は2階にあるそうだ。

2階には遮光機能に優れた実用的な日傘と、美しい装飾のついたファッション用の日傘がどちらも取り揃えられていた。
「開いて見ていただいて大丈夫ですよ」
と女性店員がにこやかに声をかけてくれた。
繊細なベトナム刺繍や美しいレースの縁取り・・・壁一面に設えられた大きな鏡の前であれこれと悩んだ結果、今年の誕生日プレゼントは上品なレースで縁取りされた日傘に決まった。
今持っている日傘もとても気に入っているが、この日傘もとても重宝しそうだ。
好きな色のタッセルも選べるらしく、大量のタッセルの束を眺めていると、大正時代に流行した新橋色のようなミントグリーンのタッセルを発見した。即決である。
タッセルをつけた白い日傘はなんともレトロな雰囲気に仕上がった。
「お召しのお着物にも、とても似合いますね」
と女性店員は笑顔で合いの手を入れてくれる。大正時代の女性達も、こんな風に百貨店の女性店員とコーディネートの相談をしたのだろうか。
夫は会計時にあれやこれやと何か尋ねていた。どうやら明治時代風の、大きくたわんだ丸いシルエットの蝙蝠傘が欲しいらしい。

大正時代には刺繡入りや友禅染などの日傘があったそうだ。持ち手のデザインも、現代の物よりずっと凝っている。
当時の新聞や雑誌にも、着物を着て洋傘を持った女性たちがよく登場する。彼女たちの表情はどこか明るい。
きっと、今の私と同じように、時代のときめきを日傘に感じていたのではないだろうか。
黒い布ケースに入った新しい日傘を受け取りながら、私は大正時代の小説を思い出していた




走つて来る車はやがてかれ等を追越すまでに近寄つて来た。先きにSが振返つた。派手なパラソルが見えた。
つゞいてそれを半ば傾けてゐるやうに白い美しい顔を微かに見せてゐる十七八の娘が映つた。
それはSと同じ二等室に上野から乗つて来た娘だつた。その眉の美しさに長い間見とれて来た娘だつた。


『布団』で有名な田山花袋の小説『ひとつのパラソル』は、大正14年(1925年)に雑誌『令女界』に掲載されました。
華やかな日傘を持ったミステリアスな少女が印象的な小説です。続きを読むと、彼女のパラソルは蝶の柄だった事が描かれており、当時の雰囲気が感じられますね。
青空文庫でも読むことができますので、ご興味のあるからは是非続きを読んでみてください。

国産の洋傘が登場したのは明治12〜13年(1879〜80年)頃だと言われています。意外に早期から国産化されていて驚きます。
しかし、その頃の洋傘はまだ庶民には手が届かない存在でした。洋傘が一般の人々の手に渡り始めたのは大正時代頃で、贅沢な作りの日傘は女性の新しいファッションアイテムとしても注目されました。


断髪洋装のモダンガールは、実は大正時代中には大変少なかったことは【大正浪漫譚】断髪ヘアをたたいてみれば大正ロマンの音がするでもご紹介しました。
職業婦人、新しい女、モダンガール ー 新しい女性像が期待される反面、洋装は好奇の目にさらされるリスクもあった事でしょう。
自分の意思を持った先進的な女性として生きるには、大正時代はまだまだ厳しい時代だったことが、雑誌や新聞からも感じられます。
そんな時代を生きた女性たちにとって、日傘やショールは普段着ている着物にも取り入れやすい西洋のファッションアイテムでした。
見上げるとそこには華やかな日傘。足取りも気分も軽やかになる。
当時の女性達も、私と同じそんな気分を味わっていたのだと思うと、わくわくどきどきします。



明治時代後期から大正時代によくみられるのは、新しい物や文化に対しての興味や羨望です。
でも、それと同時に反発があったことも事実で、女性のファッションが批判される事も少なくありませんでした。現代人の私からすれば考えられない事です。
でも、女性たちが「可愛い」を諦めらない事は、既に歴史が証明しています。
大正時代においての日傘やショールは、女性たちにとって「自分のために好きなものを選ぶ」という自由の象徴だったのではないかと私は思うのです。





大正浪漫譚は、時を超えて紡がれる物語を毎週日曜の夜にお届けします。
また来週お会いしましょう。

宮寺理美

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