【大正浪漫譚・愛知編】スダレ煉瓦の里帰り ー 明治村に佇む帝国ホテル

大正浪漫譚


その場所に一歩足を踏み入れた私は、思わず息を呑んだ。
ここがあの帝国ホテル…そう思うと足が小刻みに震えそうだった。
旧帝国ホテルの設計者が、大正時代を代表するモダンな建築を生み出したフランク・ロイド・ライト氏であることは有名だが、実は更に伝説がある。
大正12年(1923年)9月1日、旧帝国ホテル新築披露のその日に、東京一円を関東大震災が襲った。
周辺の多くの建物が倒壊や火災などの被害に見舞われる中、耐震と防火に配慮した設計のおかげで、旧帝国ホテルはほぼ無傷だったのだ。
今、自分がその伝説の中にいるのだと思うと、少々息苦しく感じるほど胸がときめく。
旧帝国ホテルはその頑健さゆえに移築も難しく、愛知県犬山市の博物館明治村に移築され、公開されるまでになんと18年の歳月が費やされた。
その尽力には頭が上がらないし足を向けて眠れない。おかげで私は、ここに立つことができたのだから。

Photoghraper 伴貞良



「わぁ、すごい…」と私がつぶやいたその瞬間、私の隣でカメラのシャッターが鳴った。友人の伴さんだ。
伴さんは数ヶ月前まで東京にスタジオを構えていたプロカメラマンだ。現在は地元である愛知に移住している。
私の好むアンティーク着物は寿命が短いので、伴さんが東京にいた頃は度々写真を撮ってもらっていた。
しかし、会うたびに歴史や映画の話で異様に盛り上がり、今ではすっかり気の合う友人の1人だ。
「何撮ったんですか?」
伴さんがレンズを向けていた方向を見てみたら、私には何もない空間のように感じたのだ。
「光がすごくキレイでさ」
「光?光…」
もう一度、伴さんがレンズを向けていた方向を見てみる。
幾何学的なデザインの窓から差し込む陽の光が、高い高い天井に斜めに走っているのがやっと見えた。
「ほんとだ!光キレイですね」
伴さんが言った事をそのまま繰り返してしまった。驚いたときほど人は知能が下がるものだ。
私もスマホで記録がてら撮影したものの、美しさが伝わるような写真は撮れなかった。

美しさが伝わらない私の写真です



旧帝国ホテル中央玄関は、天井がかなり高いにも関わらずシャンデリアが無い。
建物には無数の縦線が入った不思議なレンガが積まれていて、かなり独特なデザインだ。
「なんだろうこれ、レンガ?素焼きタイル?」
「あ、これ常滑で作ってたんだって。こないだINAXライブミュージアムで展示されててさ」
「え、そうなんだ!」
現在、伴さんが居を構えているのが常滑市だ。私はこれをとこなめ、と読むのを最近まで知らず、つねすべり、だと思っていた。
常滑は焼き物の名産地だ。愛知の煉瓦で作られた大正時代のホテルがまた愛知に移築されるなんて、里帰りのようでちょっと微笑ましい。

Photoghraper 伴貞良



現在、博物館明治村で保存・公開されている旧帝国ホテル中央玄関。温かみのある黄色のスダレ煉瓦と、フランク・ロイド・ライト氏が好んで使用した大谷石が目を引く、モダンで個性的な建築です。
この個性の要とも言えるスダレ煉瓦は、博物館明治村と同じく愛知県で生産されていました。
それが、知多半島の常滑市。素朴で生活的な「常滑焼」として知られるやきものの産地で、招き猫の主要産地でもあります。
やきもの散歩道と呼ばれる一角には、登窯や煉瓦煙突、コールタール塗りの黒い板壁の工場などが残り、懐かしい雰囲気が漂っていました。
セントレア空港からもほど近く、外国人観光客も訪れる人気スポットです。

Photographer 伴貞良   Location やきもの散歩道

そんな常滑市で生産された煉瓦が帝国ホテルの一部となったのには、近代建築の巨匠と呼ばれるフランク・ロイド・ライト氏の「完璧主義」が深く関係しています。
初代帝国ホテルが建設されたのは1890年(明治23年)。
時代が進む中、より多くの宿泊客を受け入れる必要が生じ、フランク・ロイド・ライト氏に新館の設計が依頼されました。
新館は大正8年(1919年)に竣工。しかし、完璧を求めるフランク・ロイド・ライト氏と経営陣の間には予算や納期などで軋轢が生じ、大正11年(1922年)に設計監理から解任されてしまいます。

氏がどれだけ完璧主義だったかというと、
自身が追い求める理想のスダレ煉瓦のため、試作品を自国アメリカから持参するほどでした。
しかし、予算の都合上輸入はできない。そこで国内製造する運びとなり、白羽の矢が立ったのが常滑市でした。
知多半島で採れる土が、スダレ煉瓦に適していることが判明した上に、常滑市なら製造力もあります。
フランク・ロイド・ライト氏は、適した粘土が採れる粘土山にまで足を運び、自分の目で確かめた上で常滑市を選んだそうです。
照明から家具、食器や敷物に至るまで、空間の全てを設計した巨匠の誇りが垣間見えるエピソードです。
大正6年(1917年)、常滑市には帝国ホテルの専用の煉瓦製作所が建設され、大正10年(1921年)におびたたしい量のスダレ煉瓦や穴抜け煉瓦、テラコッタが無事納品されました。
常滑市で製造されたスダレ煉瓦は250万個、穴抜け煉瓦は150万個と言われます。
現在は中央玄関のみがその姿をとどめていますが、元々はもっともっと大きなホテルだったことを実感する数字ですね。

Photographer 伴貞良   Location やきもの散歩道



愛知の土から生まれたスダレ煉瓦は、東京の大舞台を支え、今は博物館明治村で時を刻んでいます。
まるで遠い旅路を経て、ふるさとの土に還ってきたかのように。

愛知は旧尾張国と三河国の時代から始まり、伝統産業を基盤とした一大産業都市へと成長しました。
日本の近代化を産業の力で支えた、縁の下の力持ちです。
そこにはきっと、たくさんの物語が眠っているはずです。
さぁ、今度は愛知で大正浪漫譚を探しに行きましょう。



博物館明治村を訪れた際だけでなく、
日々私にたくさんの気づきを与えて下さる友人の伴定良さんに心より感謝申し上げます。


時を超えて紡がれる物語『大正浪漫譚』は、毎週日曜の夜にお届けています。
また来週お会いしましょう。

宮寺理美

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