【大正浪漫譚・銀ブラ編】銀座の夜に蝶が舞う

大正浪漫譚




カフェーパウリスタでのんびりしていたら、もう陽の陰る時間になっていた。あと1時間もすれば、路面に立ち並ぶブランド店のロゴも、煌々と輝き始める時間だ。
「いやぁ、今日は歩いたね、帰ろっか」
「あれ、理美、なんか行きたい店ある言うとったやろ」
「え、なんだっけ」
私はしばらく考えて思い出した。ルパンだ。
「あぁ、あの太宰治のバーでしょ?」
銀座には昭和3年創業の古いバー、ルパンがある。確かに行きたいとは言った。しかし、私は酒を飲むと顔がすぐ真っ赤になり、へべれけになってしまうのだ。特に今日のように少し疲れた日はベロベロである。
「せっかくだけど今日は無理だなぁ、場所もちょっとここから歩くし」
「そか、担いで帰ってもええけど、そしたらまた今度やな」
太宰治が贔屓にしたバー!なるべく早く行きたいものだ。夫に担がれて帰らないで済む程度にやらないといけない。

太宰治やバーに思いを馳せながら駅を目指して歩いていると、三越が見えた。大正時代も今も、百貨店と言えば三越だろう。
「すぐそこ三越だけど、デパ地下でお惣菜でも買って帰る?」
そう言おうと夫を振り返った時、高層ビルの谷間に、まるで物陰に隠れるかのように建てられた小さな門のような物が見えた。そこだけ少し薄暗い。
「ちょっと待って、あそこ見たい」
私は夫の「ええで」という返事を聞きながら既に歩き始めていた。近付いてみるとそれは門ではなく看板だ。アーチ看板というのだろうか。
カフェーパウリスタで「もう歩くまい」と心に誓った事は無かった事になった。

奥には路地があるが、すぐそこで行き止まりだ。そしてそこには、木造とモルタルが混ざった、奥に長い2階建てがあった。
見た所、今も焼肉店やバーなどが営業しているらしい。焼肉店の赤いテント看板や、二階部分に取り付けられた酒屋の縦看板は真新しいが、建物は随分古そうに見える。
建物が路地の奥にあるせいでここだけ薄暗いように見えたが、近づくと賑やかな印象だ。高層ビルやマンションの谷間で、ここだけぽつんと時代が止まったかのように感じる。



「これって理美がよく言う赤線ってやつなん?」
後ろから付いてきていた夫も、この不思議な二階建てを見上げていた。私がこの手の建物を好む事は、あまり人には言っていない。さして良い趣味ではないからだ。
「う~ん、どうだろうね」
赤線と呼ばれる、いわゆる特殊飲食店と呼ばれる場所は、その特殊性からか目を引くデザインが多い。
アールデコ風の柱であったり、特徴的なステンドグラスやタイルであったり。この二階建てはもっと実用的に思えた。おそらく戦後くらいの時代の飲食店なのではないだろうか。

この路地の濃密な夜の匂いには、往時の余韻が感じられた。
大正12年(1923年)の関東大震災後、銀座にはカフエーと呼ばれる夜の店が乱立していたという。アンティーク着物を着た私がここに立つと、時代が交錯したかのようだ。
表通りで煌めくブランド店や百貨店の陰に隠れるようなこの路地で、私は大正時代の新聞記事のことを思い出していた。



ある横丁の家の前を通ると「では行つてまゐります」と優しい女の聲、続いて「気を付けてね」と母人らしい聲が聞えカラゝと格子戸が開いた。

大正14年(1925年)のアサヒグラフに掲載されていた記事、『カフエー女給さん二十四時間』は、こんな一文で始まっています。
記事に登場するよし枝さん、菊子さん、八重子さんは、銀座2丁目のカフエーに勤務する女給さんです。
大正12年(1923年)の関東大震災後にその数を増やしたと言われるカフエーは、ハイカラな洋食や酒を提供しており、美しい女給の接待が売りだったと言われています。
女給という存在は文学作品にもたびたび登場し、魔性の女として描かれる事が多いように感じます。
谷崎潤一郎『痴人の愛』のナオミ、永井荷風『つゆのあとさき』に登場する君江…
しかしこの記事を読んでみると、果たして本当にそうなのだろうかという疑問が頭をもたげます。



彼女たちは白い割烹着のようなものを着て朝の仕事を始めます。
午後4時頃からは客からの注文をさばいたりビールをついだりと大忙しのようで、彼女たちの仕事がひと段落するのは、日付を跨いで深夜1時。
途中で休憩をする時間もあるのかもしれませんが、接客時間だけで9時間を超える重労働である事が分かりますね。
中でもよし枝さんは、母親との2人暮らしを連想させる記述が多く、家庭の事情から夜の仕事に就いた事がうかがえます。
女給のエプロンの蝶結びは、現在でもよく使用される「夜の蝶」の語源になったという説もあります。
一見するとハイカラで華やかな仕事です。しかしその実、よし枝さんのように家庭のために働く女性も少なくなかったのではないでしょうか。



銀座の夜に舞った、美しい蝶のようなエプロン姿の女給。
女性が働く事がまだ珍しかった大正時代から昭和初期、彼女たちの羽ばたきは決して軽やかではなかったでしょう。
今も昔も、人はそれぞれに懸命に生きています。銀座の路地裏は、私にそのことを教えてくれたのかもしれません。


大正浪漫譚・銀ブラ編はこれにておしまい。
お付き合いいただきありがとうございました。
次回の大正浪漫譚は9月14日夜の更新です!

宮寺理美

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